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屏風山(びょうぶさん)鎮国寺(ちんこくじ)[鎮國寺]★★★真言宗御室派

歴史

大同元年(806)弘法大師開基の寺院。 本尊は、大日如来・釈迦如来・薬師如来。これらは宗像三柱の本地仏。 本堂は慶安3年(1650)藩主黒田忠之により再建。 建立当時は瓦葺きであったが、のち茅葺きに変わり、昭和54年の解体修理のときに銅板葺きとなった。

護摩堂では毎年4月28日に不動明王立像(重文)のご開扉と採燈護摩供が営まれる。(以上のホームページより)

参考:『筑前國続風土記

ひとくちメモ

鎮国寺は三方、山に囲まれた高台に伽藍を構えている。西の釣川の対岸には宗像大社が鎮座し、 その近辺には古墳などもあり歴史を感じる場所である。

境内には、本堂・護摩堂・大師堂・文殊堂・奥の院などの建物があり、特に本堂と奥の院はかなり古い建物である。

鎮国寺への参道は東西二ヶ所ある。西側参道が表参道のようである。 東側の参道口からは乗用車で一気に境内まで登って行ける。広い駐車場もある。

春は、薄紅梅、秋はカエデ、などなど。季節折々に多くの種類の草木を楽しむ事ができる。

余談ではあるが、境内にふれあい観音様が立っておられ、 別名”だきつき観音”と立て札にある。 抱きつきたかったが周囲の目もあり、握手だけで済ませた。残念。

奥の院

奥の院への参道はかなり長い石段が続いている。よく手入れされている。 参道の石段の両脇には石仏様達が数メートルおきに鎮座している。 これは四国八十八ヶ所のミニチュアだそうである。

表参道

参道口には山門があり、かなり長い石段を登っていかねばならない。

足腰に自信のある方はこちらからどうぞ。

石段途中からは、宗像の山並も眺めることができる。

四季の草木

筑前國続風土記

巻之17 宗像郡 下に下記の記載がある。

○吉田村(鎮國寺 京道)

吉田村の鎮國寺は屏風山と號す。眞言宗也。 田島の本社より山下の橋迄5町半、山下の橋より寺迄2町許有。

亀山院弘長年中(1261-1263)、僧皇鑒(これ)を開基す。 境地をば領主宗像大宮司長氏ほどこして堂舎を立、5社の本地の佛像を安置し、 鎮護國家の道場とす。 故に鎮國寺と云。

皇鑒より仁秀法印迄28世にて座主絶ぬ。 其後山伏住す。慶安3年(1650)、昌傅来て従持す。 山州仁和寺の末寺と成る。

5社の本尊とは大日(宗像第一宮の本地。)釋迦(第二宮の本地)薬師(第三宮の本地) 此3佛弘法大師の作といふ。阿弥陀(許斐山権現の本地、是は仏師定朝が作と云。)観音(織幡大明神の本地、是は傅教大師の作と云。)右の5佛(いずれ)も大成る木像也。 其製作の精巧なる事、畿内諸州にも稀に有也。 前國主忠之公、5佛の(だい)を5座作らしめて寄附し給ふ。 此5佛鎮國寺の本尊也。

(およそ)本地垂跡ち云るは、浮屠より云出せる事にして、神道に云る事にあらず。聊其云傅ふる事の由を記するのみ。

又此寺に太政官符有。文永2年(1265)と書り。且大宮司寄進状一通有。金胎両部の曼荼羅2幅有。唐筆にてうるはし。 大般若経1部有。五佛堂には鰐口鉦鉢有。五佛堂は昔より國主の造修これ有。

昔は此寺繁栄して、寺領も多く附たりといへ共、近代は寺領も絶て花蔵院と云一坊のみ残れり。 近き比花蔵院に、右に云し昌傅が弟清算と云僧住せり。始は高野山に住せしが、此國に来て住する事、40年に及べり。 然るに貞享元年(1684)3月21日より五穀を絶て木食し、同4年3月15日より断食し、21に67にして入定して死す。 希世の事なれば。四方より来見るもの多かりしとかや。 則花蔵院の後なる山上に葬る。

吉田村の前に道有。京道と云傳ふ。是より垂水内浦へ越す。 昔京へ上り行大道成しよしいへり。

『福岡県の歴史散歩』より

伊藤氏メモ寺伝によると弘法大師空海の開基とされている。 本尊の木造不動明王立像(国指定重要文化財)は鎌倉時代前期の作で、毎年4月28日にのみ開帳される秘仏である。

また、宗像五社(宗像三社・織幡神社・許斐権現)の本地仏に比定されている5体の木像(宗像五社本地仏)が、慶安3年(1650)に福岡藩2代藩主黒田忠之により建立された本堂に安置されている。

本堂裏の石段を上って行くと奥の院に至り、その岩窟には鎌倉時代に造られた線刻釈迦如来石仏がある。また、参道右手の丘には、「元永2年(1119)」銘の阿弥陀如来坐像板碑がある。 (『福岡県の歴史散歩』の記事より)()

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