『筑前國続風土記拾遺』巻之下38 宗像郡 下 野坂村の項に下の記事がみられる。
西福寺
廣宗に在。 井上山功徳院と号す。 浄土宗西山派那珂郡住吉村妙圓寺に属す。 天正の比(1573-1595)接譽といふ僧開基す。
接譽の弟子に随波といふ僧有。 後江戸に在て増上寺に従事たり。 此人の書簡并袈裟等を當寺に蔵む。 猶随波上人の事蹟は緇徒傅に詳なれは爰略す。 此寺に如水公の御書あり。
「音信[1]の為、串柿一連、梅干六十、しょうか[2]一鉢指越[3]され、祝着候也。
卯月9日 御書判
西福寺へ
猶々竹を能はやし申べく候。」
(※本文は漢文。作者が書き下しました。原文はページの最下部にあります。)
『妙圓大姉』によれば、行明(1501-1563)が開基に関わったという。
上の如水(黒田官兵衛)の書状。年号が無くはっきりしたことはわからないが 、西福寺のあたりに陣を構えたおりに西福寺の僧が陣中見舞に、干し柿・梅干し・生姜を贈ったときの礼状であろう。 礼状が現存しているかどうかは作者は知らない。
門前は池である。 参道口には巨大な門柱。 境内には、西福寺に貢献のあった僧侶であろうか「相蓮社傅譽應山大徳上人像-宝暦5年(1755)9月10日寂」と銘のある石造がある。
他に、六地蔵・水子地蔵堂・親子地蔵などがある。 親子地蔵は作者は初めて拝んだ。
初めてお参りしたはお彼岸の中日。 檀徒の方々が入れ代わり立ち代わりお参りに来られていた。 あいにくにわか雨にあい、写真に雨が写っているものがあります。
「為ニ音信一串柿一連梅干六十しょうか一鉢被ニ指越一祝着候也。
卯月9日 御書判
西福寺へ
猶々竹を能はやし可レ申候。」
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