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多福山()興聖寺(こうしょうじ)[興聖禅寺]★☆☆臨済宗大徳寺派

歴史

『筑前國続風土記拾遺』巻之36 宗像群 上 田島村(宗像神社)の項に次の記事がみられる。

片脇に在。多福山と号す。 延慶2年(1309)大宮司氏俊[1]片脇の城中に建立有。 始ハ眞言宗にして寺産13町20段(大)を寄附あり。 今ハ寺算なし、 永禄11年(1568)の秋大友勢當郡に乱入して所々放火せしとき、 當寺も鳥有となれり。

其後久しく廃址となりて有しを、即山(そくせん)といふ僧再興して臨済宗とし、 横岳山崇福寺の末寺となる。 本尊ハ釈迦如来脇侍薬師観音の像有。 又大宮司79世[2]の牌有。 鐘1口(無銘高2尺5寸周1丈厚2寸)豊後兵乱入せし時、 此鐘を土中に埋めり。 其後此寺再興有し時むかし此寺の奴僕也し者の子也とて、 父か遺命と称して寺内に有し榎木の下より此鐘を掘出せり。 此時鐘と同しく振鈴1口を得たり。 周りに興聖護國禅寺の6字あり。年号ハなし。古物也。

昔ハ子院9ヶ寺有。(聯芳軒 心光軒 壽昌軒 妙恵軒 慈見軒 巴則軒 聖照軒 隋泉軒 徳本軒なり。) 今其址さだかならず。 境内片脇城址に城頭(しろとう)といふ所、 色定法師[3]入定の地也といへとも其所詳ならす。

宗像文化財マップ』によれば、興聖寺には総高94.8cm、口径49.1cmの室町時代の梵鐘があるという。 『拾遺』の「高2尺5寸周1丈」の鐘は計算すると、高さ≒76cm(2×30.03+5×3.03)。口径≒59cm(180÷3.14)の鐘である。 高さは前者が竜頭部分を含み、後者は含まない。 と、するとサイズはまんざら前者後者で合致しないわけではない。 現在ある鐘のことかもしれない。

参考:『筑前國続風土記

ひとくちメモ

寺の周辺はのどかな田園地帯で作者が大好きな寺院のひとつである。 境内もよく手入れされている。2011-08-31にお参りしたが、そのときも近隣の住人と思われる方々が 暑い中清掃作業をされていた。

『筑前國続風土記』 巻之16 宗像郡 上 田島 ○興聖寺

田島に在。臨濟宗。開山は即山和尚。 大宮司52世氏俊、延慶元年(1308)開基

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脚注

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