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東寧山() 安昌院(あんしょういん) [安昌禅院] ★★ 曹洞宗

歴史4 phrases

奥州(東北地方)で勢力を伸ばし、 朝廷への貢租を怠るようになった豪族安部氏は、 朝廷より派遣された源頼義によって滅ぼされた(前九年の役1051-1062)。 そのときの安部氏の指揮官は安倍頼時安倍貞任父子であった。 その終戦処理において安部貞任の弟 宗任(むねとう)1032-1108は はじめ、伊予国に配流され、のちに筑前国の宗像大島に流された。

筑前國続風土記』『筑前國続風土記拾遺』によれば、 宗任はここ大島では、最初は毘沙蔵(びしゃくら)という所に住み、後に現在安昌院のあるこの地で没したと言う。 その後宗任の「遺孫」の妙任尼により開基されたようである(曹洞宗田嶋村醫王寺の末寺)。 (宗任と妙任尼との続柄は『風土記』では「安部宗任廿一世の孫」、 『拾遺』では「遺孫」 と記されている。) 『拾遺』によれば、本尊の藥師如来は宗任の持尊仏という。

宗任の墓碑は本堂に向かって右側の坂を少し下った所にある。 『拾遺』によれば榎が一株が植えられていたという。 案内板によれば、その榎はつい最近まであったが枯死したという。

風土記』によれば、宗任には3人の子があり、長男は松浦にて松浦党の組織の開祖のメンバーとなり、 次男は薩摩へ、三男がこの大島に残ったという。 この三子の末裔は後黒田藩をはじめ九州各地での歴史の所々にその名をみることができるという。 Wikipediaによれば宗任の末裔には安倍晋太郎安倍晋三父子もいるという。

ひとくちメモ5 phrases

大島港フェリーターミナルで下船して 島内の古い街並の狭い道を2-3分歩いた所に石段がある。 安昌院はこの長い石段を登ったところにある。

風土記』に「御所山、小山也。南に向ひ、下に平地有。昔毛利元就、宗像大宮司を救はん為、 爰に来り陣せらる。故に御所山と云。」という一節がある。 今の安昌院のある場所はこの小山(本堂のある場所)・平地(参道から石段の登り口付近)の組み合わせから類推すると、 まさにこの一節どおりの場所ではなかろうか? ここに毛利元就本人が来たとは思えないが、彼の軍勢だけでもここまで来たのであろうか? 日本史に疎い作者であるが、誤りを恐れず思いを巡らせると、 毛利勢は当時海路からも筑前に進軍してきたことは考えられ、その中継地点としてこの地が選ばれたのであろうか?

境内からは大島港が見渡せ、その先には対岸の宗像の山々を見ることができる。 境内には、地蔵菩薩・薬師如来などの石仏などがある。

宗任の墓所は庫裏の北側の坂を少し下ったところにある。 中央には石塔があり、その両脇には小さな石塔が多数ある。 彼の末裔の墓碑であろうか?

安昌院にほど近い港のそばには宗像大社中津宮が鎮座。 島の北には沖ノ島遥拝所がある。 この遥拝所からの海の綺麗さは格別である。 島内は休日には無料の観光バスサービスもあるようであるが、徒歩でも半日もあれば散策できる。 おすすめの島である。

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