お寺めぐりの友

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本吉山普門院(もとよしざんふもんいん) 清水寺(きよみずでら) ★★★ 天台宗

歴史

上のホームページにも記載されているが、寺伝では大同元年806、唐から帰国してまもない最澄がこの地に創建したという。 歴代柳川藩主にも篤い庇護を受けていたようである。

その詳細については、清水寺(みやま市)-Wikipediaにゆずる。

ひとくちメモ

清水寺は現在、九州内でお参りしたお寺の中で最大の敷地面積のお寺である。 ほぼ全ての施設をお参りすると、麓から往復おおよそ4km、高低差約150mである。 ひょっとすると、麓の参道口から西はまだまだ長い参道となっていたのではなかろうか? そこには清水寺ゆかりの遺跡・子院などがまだあるのかもしれない。

本坊庭園・本堂域・三重塔周辺の紅葉はみごとである。 三重塔からさらに登った所には茶店がありその先は展望所となっている。 瀬高町の街並みを一望できる。お見逃しなく。

清水寺本堂へは、麓から車で登るコースと、麓から表参道より徒歩で登るコースの2つがある。 作者は表参道よりお参りした。(ご注意:表参道コースは車では行けない。) ゆっくり散策してほぼ3時間くらいかかる。

以下にそのコースを順を追って記載する。

参道口付近眼鏡橋付近本坊庭園までの参道本坊庭園称名庵五百羅漢仁王門鳥居楼門本堂域三重塔乳父観音地主権現茶店

参道口付近

右に川を見て進む。 ほどなくすると鯉料理店がある。このお店は既に営業はしていないようである。


眼鏡橋付近

巨大な石灯籠・鳥居がある。石灯籠・鳥居の銘は読み取れないが苔むしてかなりの年代物のようである。

この橋は、文久4年1864製。元はここより2kmほど北側の大塚地区を流れる返済川に架けられていたが河川改修によりこの地に移築されたという。 橋の裏側は鉄筋で補強されている。 橋を渡った所には、石仏が多数鎮座している。

すぐ先には清勝院が伽藍を構えている。


本坊庭園までの参道

曲がりくねった石畳の坂道である。 途中、所々に石仏が鎮座。 両サイドは雑木林、竹林などとなっている。 秋は所々紅葉も楽しめる。


本坊庭園

庭園へは建屋の玄関から靴を脱いで入る。 建物内には仏壇があり、その脇の縁側から鑑賞する。 みごとである。 また、建物の前庭の紅葉もみごと。写真をごらんください。

庭園入口には、天正18年1590銘の「法華経千部逆修板石碑」がある。 表面の文字は鮮明に読み取れる。保存状態は良好である。

板碑のすぐ脇には魔羅観音(まらかんのん)(小授観音(こさずけかんのん))が鎮座している。 ねむの木製で男性根の形をしている。 五穀豊穣・子孫繁栄・家庭円満・無病息災のご利益があるという。


称名庵

ここより次の五百羅漢までは舗装された道路となっている。 称名庵前には土産物店があるが、店は閉められていた。


五百羅漢

五百羅漢前の岩でごつごつした所は旧参道である。 昔の人々はこの道を通って本堂にお参りしたのであろう。 その道はすぐ上の仁王門につながっている。

案内板によれば文化1804-1818文政1818-1830の頃から大正年間1912-1926に奉納されたものという。 皆良いお顔をされている。 心無い(やから)によって首は全て打ち落とされてしまったという。 よく見るとほとんどの羅漢様の首には修理された跡がみられる。残念無念。


仁王門

五百羅漢の先は仁王門である。 案内板によれば、延享3年1746柳川藩主・藩民によって寄進されたという。 仁王像の高さは2.4mという。

門内に安置されている仁王像は暗くてよく見えなかった。 ライトで照らすわけにもゆかず。残念である。

この先は鳥居まで、しばらく舗装された道路となっている。


鳥居

舗装された道路はここで終わり。 これからしばらく石畳を登る。ほどなくすれば、石段がありそこを登れば楼門である。


楼門

案内板によれば、願主は柳川藩主立花貞則。延享2年1745建立。 建立当時は桧皮葺であったが、現在は銅板葺となっている。 階上には釈迦如来・文殊菩薩・持国天・広目天・増長天・多聞天像が安置されているという。

どっしりとした構え。すごい存在感である。 楼門の先はまた石段である。作者はこの辺で「まだかい?」とため息を吐く。 この石段を登ると"やっとこさ"の本堂にたどり着く。


本堂域

境内の案内板の内容をそのまま記載する。

本吉山普門院清水寺(きよみずでら)

平安のはじめ、伝教大師最澄さまは、 唐(中国)から日本に帰られる途中、有明海の東方山中に美しくかがやく光を求めて、 一羽の(きじ)の道案内でこの山にわけ登り、 苔むしたねむの木の霊木を発見されました。

この上なくよろこばれた大師は、 この木に地から生えたまま2丈6尺約5mの千手観音像をきざまれ、 大同元年806お堂を建て、観音さまをおまつりされました。 これが本堂です。

木の(もと)できざまれた観音様だから、 この寺の山号を本吉山普門院(もとよしざん)と称し、麓の部落を本吉といいます。

ちなみに玩具「きじ車」は、大師を道案内した由来にもとづき作られたものです。

昭和47年11月 柳川ロータリークラブ

本堂域は平坦部となっている。本堂を中心に向って右手に阿弥陀堂・記念館。 向って左手にはなで仏、その裏手は崖となっており多数の石仏がみられる。 本堂前には清水が湧く泉となっている。 記念館付近の紅葉はみごと。

なで仏様の手と膝をなでてきました。(笑)


三重塔

案内板によれば、文政5年1822柳川10代藩主立花鑑賢と領内住民の寄進により14年の歳月を費やして 天保7年1836に完成したという。 高さは27m。 近年、以前の原型をそのまま活かし、古材も再利用して補修され、現在のものは昭和41年11月のものという。

秋の紅葉とベストマッチである。


乳父(ちちぶ)観音

案内板の内容をそのまま記載する。

本吉山普門院清水寺の開祖 伝教大師の弟子円仁(慈覚大師)は、唐より帰朝の途次、 霊夢により、師僧、伝教大師の足跡をたずね、 世の子供達が健全に育つようにとの願いをこめて、 観音像を彫刻し、 嘉祥元年808堂宇を建立し供養せられたと伝えられる。

爾来「乳父観音」と親しみ呼ばれ乳不足に或は乳の病気に悩める女親達の篤い信仰にまもられながら今日に至っている。

お堂に奉納されている母子の像や布地の乳房等は御願成就のしるしである。

みやま市商工観光課

お堂脇には布地の乳房が多数奉納されている。 作者は初めて見た。驚きである。 お堂には大正期までの古い絵馬が多数奉納されている。


地主権現

地主権現は乳父観音のすぐ上手に鎮座している。 その由来などは作者はわからない。 祠前の恵比寿神は良いお顔をされておられる。


茶店

茶店ではきじ車などもお土産に売られている。 茶店の奥は芝生の敷地となっており、お弁当を食べている家族連れなど多数みられる。 そこからは瀬高の町が一望できる。


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