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海東山() 日輪寺(にちりんじ) [日輪禅寺] 臨済宗妙心寺派

歴史

伊藤氏メモ開山は、澤雲和尚(梅林寺3世)。もと、城内(旧久留米城)二の丸にあったものを、元和7年1621有馬豊氏、入国に際して当地に移転建立した。(門前の案内板より)()

伊藤氏メモ創建は、元和7年1621筑後三十三箇所観音霊場本尊の聖観世音菩薩像安徳天皇の守り本尊であったと伝えられるが、詳細も筑後に来た経緯も全く不明である。

この聖観世音菩薩像については、次のような話が残っている。有馬公の前の領主小早川秀包(こばやかわひでかね)公はキリシタン大名であり、文禄年間1592-1596に「国中の仏閣は残らず没倒するように」と命じた。ときの文寂和尚は、この観音像を密かに高良山の社内に移し、30年余り匿い、難を逃れさせていた。 元和7年1621に領主の交代で有馬公が入府すると、文寂和尚は早速願い出て、観音像を高良山から城内に戻したという。

寛永20年1643、新しく経隈山(きょうくまざん)の地(現在地)に寺地を拝領すると、和尚は城内二ノ丸にあったこの観音像と本丸にあった山神の社を遷座させ、新しい日輪寺とした。 観音堂も新しく建立し、観音像を安置した。やがて、この観音像が7代藩主有馬頼徸(ありまよりゆき)公によって筑後三十三箇所観音霊場の第19番霊場の本尊となった。

現在の日輪寺の山門は、篠山城[1]の西門を移築したものという。(『筑後の寺めぐり』より)()

ひとくちメモ

伊藤氏メモ日輪寺古墳上に本堂がある。境内は、坂本繁三郎画伯が少年時代よく遊んだ場所とのことである。()

寺のすぐ東側はJR久留米駅である。駅前の賑わいとうって変わって境内は静寂な空間となっている。 本堂前の地蔵堂や山門をくぐって右手の達磨堂の他に、多数の石仏をみることができる。

本堂の裏手には古墳への入口があり、鉄の扉が半開きとなっていた。 中に入るとお棺を安置したと思われる穴が確認できた。 本堂の周りを散策しているとずっと猫ちゃんがそれを見ていてもう少しで慣れてくれる所であった。

寺のすぐ南側に坂本繁二郎生家跡があり見学できるようである。

脚注

関連寺院

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