お寺めぐりの友

PC版

護国山() 國分寺(こくぶんじ) [国分寺・がん三大師] 天台宗

歴史

國分寺の前身は、天平13年741聖武天皇の詔によって全国25ヶ所に建立された寺院の一つ。 建立当時は、現在の地より4kmほど南側の国分町にあったという(筑後川の対岸)。 その後、衰退し足利尊氏により現在の地に移転再興。 さらに慶長年間1596-1615に柳河藩主田中吉政により再興されたという。

寺内には地蔵来迎図板碑(じぞうらいごうずいたび)が保存されているという。 この板碑は、高さ1m。室町時代の作で、明治2年1869に発布された神仏分離令により、 高良山愛宕神社奥の院付近から当寺に移されたという。

参考資料:国分寺 (久留米市) - Wikipedia

伊藤氏メモ当初は、筑後川をはさんで、川北に法華滅罪寺(尼寺)を置き、川南の国分町に金光明四天王護国寺(僧寺)を置いていたものが、後世合併して、護国山国分寺と称することになり、暦応2年1339足利尊氏により、仏閣法堂が再建された。 また、安永6年1777には有馬頼僮公により、筑後西国三十三ヶ所11番観音霊場に定められ、明治4年1871天台宗比叡山延暦寺の直轄となった。現本堂は、昭和57年再建。現第35世。(当寺由緒書から抜粋)

境内には、がん三大師御宝前と記された赤い幟が40本以上並び立っている。がん三大師(元三大師)は、康保3年966第18代天台座主となり、荒廃した比叡山の堂塔伽藍を復興し、中興の祖と仰がれた僧。密教修行の力をもって、多くの人々の苦難を救われたという。がん三大師ご縁日ということで、毎月3日11時から縁日護摩祈祷法要が行われている。()

ひとくちメモ

寺の背後は、筑後川である。 一対の仁王様が山門を固めておられる。 寺内には、本尊聖観音が安置される本堂・歓喜天堂・薬師堂などがある。 境内には恵比寿天・馬頭観音・地蔵菩薩などの石像がみられる。 門前は、古い町並みとなっている。

関連寺院

Top