境内の案内板の内容をそのまま記す。
山本山観興寺
山本山普光院観興寺は曹洞宗の名刹で、天智天皇の御代、白雉年中(650-654) 草野太郎常門は豊後国串川山(現日田市)に狩りをし、榧の木の霊木を得て、 これで千手観音の像を彫刻し、それを本尊として当山を開基、伽藍僧坊36坊を建立したのが始まりといわれています。
特に天智天皇により「普光院」の勅額を賜ったほどで、境内の小池から、太宰府の都府楼と同じ「観興寺」の銘の入った 布目瓦が出たことがあり、草野氏の信仰と当時の隆盛がしのばれます。
寺宝としては、千手観音の霊木にまつわる鎌倉後期の作と伝えられる「観興寺縁起」二幅があり、 重要文化財と指定され、現在国立博物館に保存されていますが、 同寺には天保11年(1840)に描かれた写図があります。
久留米市・(財団法人)久留米市観光コンベンション協会
伊藤氏メモ観興寺は古くは法相宗寺院、後に天台宗に転じた。中世の兵火で堂宇は何度も焼失し、什物は残っていない。
正保元年(1644)に千光寺(現:久留米市山本町)の末寺の曹洞宗寺院として再興以来、現在まで「山本の観音様」として地域の人々に親しまれている。寺内には、久留米生まれの孤高の画家・高島野十郎(1890-1975)の墓碑もある。(『筑後の寺めぐり』より)()
観興寺は久留米市の耳納山の山裾の斜面の杉木立の中に伽藍を構えている。 山門をくぐるとすぐ右手には釈迦堂があり、長い石段を登ると観音堂がある。 釈迦堂といい、観音堂といい禅宗の寺院そのままの枯れた風情が満喫できる。 観音堂境内からは山本町の町並みも見渡せる。 に初めてお参りしたが、紅葉の時期などに訪れるともっと楽しめることができそうなお寺である。 またお参りしたい寺院の一つである。
観音堂のすぐ右手は急峻な崖となっており、おそらく2012年7月の北部九州集中豪雨の影響であろう崖崩れの痕に土が露出していた。 応急処置はされていたが、早めの手当てが必要である。
観興寺との関係・その歴史は不明である。
鳥居の束額の文字は独特である。門内の木像はかなり痛んでいる。
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