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瑠璃光山行基院()清瀧寺(せいりゅうじ)★★★天台宗

歴史

神亀元年(724)丹治峯廷公(柳川藩立花家の祖)が行基を招いて建立されたと伝える。 天平年中(729-749)、権僧正基廷の時代17坊を有し隆盛をきわめたと伝えられる。 その後、諸堂焼失し、了観院という一宇のみが残る。 宝暦年中(1751-1763)焼失。明和4年(1767)、立花平左衛門増厚が、これを再興した。 裏庭にあるしだれ桜は、県の天然記念物に指定されている。開花時期は3月20日~末日ぐらい。(Links① より)

参考:『筑前國続風土記

ひとくちメモ

清瀧寺の周辺は日本の原風景そのものである。 近くの大根川は桜の名所である。 また、境内には藤棚があり5月頃が見頃である。

薬師堂から眺める北側の景色も良い。飯盛山、その先の玄界灘も望める。

に桜を撮影しに朝8:00に到着。地元の方々が総出で境内の清掃作業をされていた。 地元の方々によく守られているお寺である。

清瀧寺の薬師堂の境内には樹齢300年といわれる福岡県天然記念物のイスノキ(周囲4mあまり,高さ20m)がある。

『筑前國続風土記』巻之19

○清瀧寺 (薦野村の奥、谷の間に民家有、清龍村と云。)

瑠璃光山行基院清瀧寺と號す。行基僧正此地に来り、所を此山中に見て 一院を創立し、清瀧寺と號す。 薬師、彌陀、観音、勢至、大黒天等の像を手づから造り、不動の石像をい 山の半腹に安置す。 其後薦野氏祖式部少輔峰延堂宇数区建立し、峰延が子修理亮峰時に至て、 薬師堂、彌陀堂を建立す。 峰時法名了観歿す。 後別に了観院を建てヽ祭る。 諸堂年を遂て癈絶し、今清瀧寺と稱するものは、彼了観一院の其跡のみ。 行基製作の霊像は今現に残れり。

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