お寺めぐりの友

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紫川山(しせんざん) 善龍寺(ぜんりゅうじ) 浄土真宗本願寺派

歴史

伊藤氏メモ当寺は、当初は法泉寺と公称していた。 天正9年1581豊後大友宗麟が遠賀芦屋城に攻め入る際、食料の用意を八幡高槻にあった法泉寺に命じた。芦屋城を攻め落とした後は、肥前(佐賀)龍造寺に攻め入った。龍造寺はこのとき、大友宗麟の攻めて来たことを聞いて和解を申し込んだ。

宗麟は、戦に勝ち豊後に帰る途中、法泉寺に立ち寄り戦場で使った槍(槍名:三条小鍛冶善龍宗近)を住職に置き土産として渡した。このとき、善龍宗近の[善龍]を取り善龍寺と改名した。その後八幡高槻から小倉木町に移転したが大火に遭い、さらに現在地に移転。そのときの大火により文書類は焼失し、寺歴の詳細は不明である。現第15世。 (HP「浄土真宗本願寺派 北豊教区 小倉組」ほかより) ()

善龍寺脇は長崎街道である。

ひとくちメモ

長崎街道探索中に立ち寄った。 山門のデザインがどことなく女性的でなかなか良い。 境内には、昔の本堂のものであろう大きな瓦が飾ってあった。

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