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白岩山() 聖福寺(しょうふくじ) [白岩観音さん] ★★ 天台宗

歴史

延暦22年803伝教大師の開基とされる。当時は七堂伽藍、25坊を備えた大寺であった。 その後、寺は大友氏による2度の兵火に罹って焼失・荒廃。 文明16年1414香月興則(かつきおきのり)が再興した。 脇寺25坊のうち辻坊は現存しているという。

本尊は木造聖観世音菩薩(1尺8寸≒69.4cm、伝慶運作)。秘仏で33年に一度の本開帳と17年に1度の中開帳がある。 境内には大師お手植えの大楠2株(北九州市の保存樹)と、紫紺の大フジもあり早春には梅林あり。 本堂正面の「白岩山」の扁額は仙厓和尚の筆。 本堂内の大太鼓は麻生氏奉納銘あり。 本堂の左後方の石造五重塔と、それより小さい2基の塔内には仏師崇仁の銘のある経筒3箇が納められていた。

年中行事

(『白岩山聖福寺縁起』・境内の案内板などより)

参考:『筑前の寺めぐり』『筑前国続風土記』巻之14『筑前國続風土記附録』

ひとくちメモ

聖福寺は香月の住宅街に伽藍を構えている。 境内は広大な敷地面積である。多数のお堂・石仏群がみられる。 観音堂をはじめ各種お堂・石仏・傳教大師お手植えと言われるの2株の大木など見応えがある。 春のフジは見事である。 8月17日に境内で催される盆踊りは近在の方々で賑わうとのこと。 境内は樹基の楠をはじめ多数の木々で覆われ、特に夏場は涼しくて気持ちが良い。

上殿延命地蔵院の参拝の帰りに参拝。本堂内に住職がおられ、声を掛けて頂いた。 『白岩山聖福寺縁起』を頂戴し涼しい藤棚の下のベンチに腰掛け冷たいペットボトルのお茶をいただきながら(これも頂戴した!!)お寺の話を聞かせていただいた。感謝感謝である。

誕生山 吉祥寺お参りの帰りに訪れた際、 ちょうど遍路姿の方がお参りに来られており後ろ姿を撮影させて頂いた。感謝感謝。 また、藤棚には見事な花が咲いていた。

筑前の寺めぐり 』より

伊藤氏メモ寺伝によると、聖福寺の開創は延暦22年803伝教大師こと最澄の開基と伝えられる。 寺庭への陽光を大きく遮る境内の2本の大楠は最澄のお手植えと伝えられ、北九州市の保存樹に指定されている。 春になると本堂の横の大藤棚も美しい花をつけるという。また、境内に多い梅の大木は、近くを流れる黒川の大改修のとき、ここに移し替えられたという。寺庭に点在する大小の石仏はその数知れず、無造作に祀られている。

山門の左手の現本堂に祀られている本尊は慶雲作と伝えられる木彫聖観世音菩薩立像で、秘仏であり33年に一度の本開帳、17年毎の中開帳である。本堂の正面に掲げられた扁額は博多聖福寺仙厓和尚の筆になるという。 現在の本堂は昔の学問所で、この学問所で後の鎮西上人こと聖光坊弁長上人が10代の頃に学んでいたと伝えられる。

往古の聖福寺は、七堂伽藍悉く備わり脇寺25か寺を持つ大寺であったと伝えられる。しかし、現存する寺は辻坊1か寺のみという。 聖福寺は2度に亘る大友氏の兵火で焼失し荒廃していたが、文明16年1484に香月興則公が水田10町歩を寄進して、この寺を再興したという。しかしまた焼失し、江戸時代には本尊を安置する観音堂だけが残る時代もあったらしい。

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筑前国続風土記』巻之14 遠賀郡 上

○勝福寺天台宗

香月村にあり。 山號白岩山と號す。 是村の上なる山に白岩権現の社ある故名付けるならん。

昔は大寺にて、七堂(ことごと)く備れりと云。 亂世の時兵火に焼たり。 文明16年1414に、香月七郎大夫興則再興して、沙門了心坊を中興の開山とす。 其後叉焼失せしかば、わき寺24坊有しといへども、其名さへことごとくは傳はらず。 此坊小池坊、岡坊、東坊、谷坊、北坊、奥坊、中坊、阿伽坊、田中坊、下坊、上坊、此12坊のみ其あとの名のこれり。

今は只本尊観音堂のみ残れり。 是は麻生上野入道建立のよし棟札あり。 方3間の堂也。

堂の前に石の塔あり。 其内一は高さ8尺有て、五重の塔なり。 其竿石の内は穿(うがか)たるものにて、長6寸、(わたり)寸の銅筒あり。 筒に正和5年1316初冬14日佛子崇仁とあり。 此外書付多し。 筒の中には佛経の文を書て籠たるよし也。 法事のため建置けるならし。

『筑前國続風土記附録』巻之31 遠賀郡 貞 香月村の項

勝福寺本編に詳也。

林の中なり。 今観音堂のある所古へ寺院ありし所なるへし。 此観音佛ハ其時の本尊なりといふ。 傍に五重塔2基及文殊の石室あり。 又観音堂のうしろたかき所に土窟あり。 中に石たてり。

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