お寺めぐりの友看板

PC版
[更新]

柳浦山()西生寺(さいしょうじ)★☆☆西山浄土宗

歴史

門前の案内板の内容をそのまま記す。

柳浦山西生寺縁起

西生寺は康正2年(1456)、等阿弥陀慧門大和尚によって創建された阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の寺院で、 総本山光明寺の末寺である。 この地は元々細川小倉藩第2代藩主忠利公の浜御殿(お茶屋)があったが、 寛文年間(1670頃)に小笠原小倉藩第2代藩主忠雄の命により大里(だいり)宿内(現在の大里本町2丁目八坂神社前)にあった 当寺をこの地に移転し、その跡地に本陣がおかれた。

江戸時代、徳川幕府の宗門改めの政策により、 当寺は、企救(きく)郡における判行寺(踏絵寺)として、毎年3月に踏絵が行われた。 又本堂内には信濃国守護職であった小笠原長時公の弟、小笠原信定公の位牌が安置されており、 小笠原小倉歴代藩主は度々当寺へ参詣された。 その他境内には細川公の浜御殿の古井戸や、大里の浜で戦死した毛利家の家臣 福間元明の碑が残されている。

当寺は慶応2年(1866)豊長戦争で消失し、 現在の本堂は、明治16年に再建されたものである。

平成17年5月 西山浄土宗 西生寺

境内には鐘楼趾がある。 案内板によれば、 小笠原氏ゆかりの臨済宗の名刹 天龍山静泰院(現在の柳町4丁目)にあったものという。 鐘楼は同寺が衰微したため、明治初年に西生寺に移転された。 下げられていた梵鐘は第二次世界大戦で軍部に供出、鐘楼も老朽化のため平成2年に撤去されたという。

ひとくちメモ

西生寺のすぐ西は関門海峡。対岸の下関市は目と鼻の先のように近く見える。 門前は旧長崎街道である。 本堂には小笠原家の家紋「三階菱」が掲げられている。 境内には観音菩薩の石仏が安置されている観音堂、鐘楼址などがみられる。 観音菩薩には宝永6年(1709)の銘があるという。 西生寺では「観音菩薩御守り」を授けているようである。詳しくはお寺にお問い合わせください。

門前の街道沿いには古い街並が続いている。

関連寺社


周辺のスポット(4km以内)

周辺の寺社・仏教施設の検索は当ページの上部の「4km範囲寺社」のボタンをご利用下さい。


Top