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養國山(ようこくざん) 西安寺(さいあんじ) [西安禅寺] [未] 曹洞宗

歴史

伊藤氏メモ以下は、門前に建つ案内板などによる。

寛永13年1636宗玄寺(小倉北区寿山町)2世建策和尚の開山という。墓地には江戸時代の武士の墓が多数ある。慶応2年1866の長州軍との戦いの後、小笠原藩は小倉城を焼き香春へと退いた。当寺も自ら火を点けて退いた。

山門を入って右側にある古い六地蔵塔は、初め木町からの狭い参道の角の地蔵堂にあったのを境内に移したものである。地蔵尊としては、小倉で最も古いものといわれている。六面の地蔵はどれも擦り減って凹んでいる。昔からこの地蔵の粉は皮膚病に効くといわれ、多くの人が削り取って持ち帰ったからだという。

山門入ってすぐの正面には[河童の証文石]がある。証文石は寺の東側を流れる紫川の西安寺淵のほとりに建っていたが、紫川を改修したときに境内に移した。伝承によると「昔、西安寺淵には河童が住んでいて人々にいたずらをしていた。ある日、寺の男が河原に馬を置き忘れて帰った。夜、馬が駆けて帰ってきたが手綱に一匹の河童が絡まっていた。和尚は河童に法を説いて許してやった。河童は上貴船社から下貴船社の間では人を害さないと誓いを立て証文の代わりに石を持ってきて川淵に置いた」という。()

ひとくちメモ

伊藤氏メモ寺の白壁の外壁には三階菱の紋が描かれ、当寺と小倉藩主小笠原家との強い結び付きを想像させる。山門から本堂までの石畳の両脇は芝生敷であり、緑に充たされた満ち落ち着く境内となっている。()

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