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祇園山()龍潜寺(りゅうせんじ)[にったいさん]★☆☆日蓮宗

歴史

伊藤氏メモ龍潜寺は八幡出身の山本日諦上人(やまもとにったいしょうにん)が、日蓮上人生誕の地・大本山小湊誕生寺の火災後の復興を託され、八幡への移転再建を行ったお寺である。

誕生寺が創建されたのは慶長11年(1606)で、千葉県安房郡一帯の領主だった里見家9代、義康公の菩提を弔ったお寺であった。惜しくも慶応2年(1866)10月、大火で堂が焼失し、廃寺寸前に陥った。明治9年(1876)、日諦上人が36歳のとき、管長から誕生寺復興の特命を受け、大本山貫首住職中の明治11年、移転再建を実現した。

日諦上人は天保12年(1841)八幡東区前田で生まれ、5歳で母に死別。母を弔うため13歳で出家。16歳から京都、加賀、江戸に遊学。26歳の明治維新期、廃仏毀釈の乱が起こる中で僧道を復興しようと山篭り10年の願をかけ、27歳から荒行に入った。修行中の明治6年、施行された戸籍法に対して出家者だからと戸籍を作らず、2年後、県知事の説得を受け戸籍作成に同意したが、1年余りの違法の罪で投獄された。その後、出獄を許されたものの「所払い」として故郷前田に送還される。

明治7年4月、前田村に帰った日諦上人は上野与一郎の帰依を受け、屋敷内の持仏堂で法華経の布教を始め、これが龍潜寺の始まりであった。そして、明治9年からの誕生寺再建の大役を果たした。

明治16年、貫首を後進に譲って龍潜寺に帰った42歳からは、栄位、栄職にもつかず、布教に精進、その足跡は全国に及んでいる。明治38年(1905)65歳で死去。(以上、『北九州観光情報サイト』より)

山門前の大きな石碑には、寺名とともに「明治7年名僧日諦上人開教の霊場なり」と刻み記されている。龍潜寺という名前は、千葉にあった龍潜寺という寺院がお寺として機能していなかったものを、明治7年当地にその名をもってきたことによるという。現第14世。

山門右手には、ドイツ人カール・キヨラー(1863-1903)の墓がある。キヨラーは明治34年4月ドイツ技術者の一員として来日。八幡製鉄所の建設や操業指導にあたり、多大な功績を残したが、明治36年帰国の夢を果たせず、八幡の地において不帰の客となった(案内表示より)。

古く大きな山門には仁王像一対があるとともに、参道から本堂へいたる敷地も広くまた静寂感もあり、日本庭園風の池もある。本堂と開山堂はどちらも大きく、建物は連結されている。古刹・名刹の風格十分な寺院である。()

Links② によれば、この寺は「にったいさん」と通称されているようである。 開山日諦上人にちなんでの事であろう。

ひとくちメモ

この地区最大級の寺である。 仁王門は圧巻。 境内には、開山堂・浄行菩薩堂・七面大明神・カール・キヨラーの墓碑などなど見どころ多数である。 境内全般にしだれ桜・ソメイヨシノが多数植えられている。

私事ではあるが、実家から山越えとは言え5km足らず。 こんな所に大寺があったとはまさに「灯台下暗し」である。 小中学生の頃、ここから下った市民プールにはよく行ったものである。

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