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究竟山大乗院(くきょうざんだいじょういん) 圓応寺(えんのうじ) [円応寺] 浄土宗

歴史3 phrases

上のホームページに詳しく記載されている。 天正12年1584に宿坊(参詣人が宿泊する坊)を天蓮社真譽見道上人[1]が開山したという。

北九州の寺めぐり』によれば、かつて末寺・末庵として小倉求道院・門司真光寺[2]田川郡来迎寺[3]京町専称庵長浜引接庵(長浜閻魔堂)・同浦地蔵堂があったという。 長浜引接庵だけは今でも1月と8月の大祭(16日)には住職が出向いてお祀りするという。

伊藤氏メモ昭和28年1953に堺町1丁目1番(モノレール平和通駅すぐ東)から現在地へ移転。寺地が小倉市(当時)の駅前整備と平和通り新設計画のための土地収用にかかったからである。かつては、広大な境内を持つ大寺で、寺の前の通りは円応寺筋と呼ばれていたという。現第27世。(『北九州の寺めぐり』他による)()

ひとくちメモ3 phrases

伊藤氏メモ 当寺には、香月牛山(かつきぎゅうざん)の墓がある。香月牛山は、小倉藩きっての名医で、出身は筑前国香月(八幡西区吉祥寺町)。幼少の頃は、貝原益軒に儒学と博物学を学び、成長してからは鶴原玄益に医学を学んだ。初め中津藩に14年間程仕え、その後京都に17年間遊学。その間、多くの医者が治せなかった大覚親王(霊元天皇の第9皇子)の病気を治して一躍有名になった。このことを聞いた小倉藩主小笠原忠雄は侍医として招聘した。牛山は、医業に励むかたわら『夫人寿草』『小児必要記』等数多くの医学書を執筆し、元文5年174085歳の高齢で亡くなった。出身地香月の吉祥寺には、寿塔と埋骨墓がある。(「到津地区の史跡等-14円応寺」より)()

圓応寺は清水町の小高い丘の中腹に伽藍を構えている。 山門は併設されている聖ケ丘(ひじりがおか)幼稚園の入口にもなっている。

本堂裏手は広大な墓地、その一番奥には「八幡宮」と鳥居に書かれた社が鎮座している。 福岡圓応寺のホームページに書かれている黒田官兵衛ゆかりの赤松氏を祀った「北向赤松八幡」ではなかろうか? 圓応寺周辺にはお寺が密集している。

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