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発心山菩提院() 西福寺(さいふくじ) 浄土宗

歴史5 phrases

境内の案内板の内容を記す。

発心山菩提院西福寺聖観世音菩薩 由来

当山は正長元年1428照阿上人により開山されました。 照阿上人は足利三代将軍義満公の孫に当り父君は義満公の二男義嗣公、 母君は側室の朝日の局です。 義満公亡きあと足利将軍家は内紛が絶えず、義嗣公は、後に、はかなく弑逆(しぎゃく)され、 懐妊していた朝日の局は難を逃れて日向のくに(宮崎県)に向かう途中、 当地で照阿上人をご出産、その後病歿。 父母の菩提を弔うため13才で発心出家して建立されたのが当山です。 発心山菩提院という山号はそこから来ています。

朝日の局が京を去る時、 足利家の守り本尊として代々将軍家に伝わった秘仏の聖観音像を奉持するようにと遣わされました (行基菩薩の所造で、丈約80cm・木造り)。 越前の大名朝倉家の臣、世里多長守、吉見采女(うねめ)助、 世里求馬(もとめ)等の武士達は朝日の局を護衛して当地 (当時は 土生(はぶ) の里、後に田富と称す)に留り、 局亡き後、幼少の照阿上人を守り出家と(とも)にその志を同じくして当山開基に名を列ねました。 その時、境内に一宇を建て奉持してきた観音像が安置されました。

その後、一時博多に移されて博多七観音の一つに数えられたりしましたが、享保1716年間より再び当境内に奉安され今日に至っています。 代々の氏神として、 村人の尊崇(そんすう)(あつ)く、妊婦は祈願により難産の憂いを知らずと誌されており、 また旱天つづきには若者集い相撲をとり雨乞いをおこなったということです。 戦時には、当境内に村人参集して観音菩薩に武運を祈り出征兵士を送る習わしでした。 正月、5月、9月の17日が御縁日です。

昭和63年5月吉日

ひとくちメモ2 phrases

観音堂は扉が閉まっており観音様は拝むことができなかった。残念。 すぐ西側には宇美(うみ)川が流れその流域は田園地帯となっている。 東側には米ノ山・若杉山がそびえている。

伊藤氏メモ現住職は第30世。現本堂は昭和3年の建立。聖観音像の安置されてある観音堂は、毎年5月17日に開帳(9時~)されるとのことでした。 なお、案内板には、[正月、5月、9月の17日が御縁日]とありますが、開帳は5月17日の年1回のみですので、ご留意ください。()

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