境内の案内板の内容をそのまま記載する。
左谷山建正寺
平安時代初期の延暦22年(803)、 遣唐使として渡唐の際、筑紫に立ち寄った天台宗の開祖である伝教大師(最澄)は 太宰府の宮寺有智山寺に遣唐船の航海無事を祈願しました。 その翌年に国中の古城巡見した際、熊野権現の神託によりこの地に堂舎・精舎その他の施設を建立し、 大日如来・薬師如来・十一面観音などの仏像を安置開眼しました。 この時点をもって伝教大師は左谷山建正寺を確立したと言われています。
戦国時代の弘治3年(1557)大友宗麟の支配下に落ちた建正寺は多数あった堂舎を破壊・没収され、 わずかに賢聖坊・印寿坊・教童庵を残すも、 天正14年(1586)に島津軍が大友氏の臣下である杉弾正を高鳥居城に攻めた際、 この地の寺社は勿論のこと、 民家もことごとく焼き尽くされたといわれています。 従って建正寺はこの時期に壊滅的打撃を受けたと推察されます。
その後もなお賢聖坊・印寿坊の名称は残りますが社僧も永住しない状態が続き、 江戸時代の明和4年(1767)に印寿坊に佐谷坊良弁が入りますが、 幕末には廃寺となっています。
以上、左谷山建正寺の縁起を中心に記しましたが、若杉太祖神社縁起には建正寺の起源を 「聖武天皇の時代、大祖神社の宮寺として建てられた延年太祖山三蔵院の発展に伴い左右の谷に分かれ、 左谷に建正寺西南院、右谷に石泉寺東西院を配置する」云々があります。
いずれも縁起に確たる根拠を欠きますが別記した各文化財等を考え併せると、 全てが根拠のないものとは思えず、その真偽は今後の調査研究で明らかになってゆくことでしょう。
※左谷山賢聖寺とも書きますが、ここでは建正寺と記しています。また、佐谷は左谷が訛ったものと考えられます。
須恵町教育委員会
『筑前國続風土記』巻之18 糟屋郡表 左谷右谷の項に記事がある。また、 『筑前國続風土記拾遺』巻之下40 表糟屋郡 下 佐谷村の項に「観音堂」として記事がある。
建正寺より400mほど下った所には伝教大師堂がある。
建正寺は、若杉山と硯石山の谷部、福岡市内より飯塚市へ抜けるショウケ越えの入口あたりの小高い場所に伽藍を構えている。 境内は杉の木をベースの山林に囲まれ、清流も横を流れている。
観音堂脇には、正中二年銘梵字板碑がある。
歴史もかなりのものと見え、寺宝も多数存在する。 下の建正寺関係文化財一覧表を参照のこと。 そのほとんどが須恵町立歴史民俗資料館に所蔵されているようだ。
当ページの後半に建正寺の仏像・佐谷神社・御開扉の記事があります。
伊藤氏メモ佐谷神社の石段を60段ほど登ったところに本殿があり、神社境内は建正寺境内とつながっている。建正寺は本堂自体はないが、 十一面観音菩薩堂、薬師如来堂、大日如来堂、吉祥天堂、子育地蔵尊堂、十三仏、お滝場、正中2年(1325)銘板碑などがある。 無住が続いているが、[佐谷神社・建正寺世話人会(092-933-1750)]が社務所に詰められてしっかり管理をされている。 福岡県指定文化財となっている木造十一面観音像は毎年4月の第1日曜日が年に1度のご開扉日で、 当日は地元婦人会によるガメ煮やニワトリご飯のおにぎりやお神酒のふるまい接待がされるとのこと。また、十一面観音堂にあるしだれ桜はみものです。()
板碑脇の案内板によれば、この板碑は福岡県で4番目に古い板石碑で、 「正和3年(1314)7月に法華経一万部を筥崎宮にて読み始め正中2年(1325)左谷山賢聖院にて結願した」と書いてあるという。
材質は花崗岩で、向かって左からキリーク(阿弥陀如来)・パク(釈迦如来)・バン(大日如来)が刻まれている。
観音堂に祀られている2体の十一面観音像と大日堂の大日如来像は年一回の御開扉の時しか拝めない仏像のようだ。
観音堂に祀られている2体の十一面観音像のうち向かって右手の像高が高い方の尊像が本尊(県指定文化財)である。 漆箔の痕跡がみられることから、制作当時は全身漆箔の像であったようだ。 当尊像はお堂の長櫃の中にバラバラの状態で保管されていたが、昭和29年(1954)に東京文化財研究所の修復を承け、現在に至っている。(境内の案内板より)
向かって左手の十一面観音像(町指定文化財)は台座裏に元禄2年(1689)に仏師厳瀬又四郎による修理記録が残っている。像高122.2cm、クス材。平安時代。
大日堂に祀られている大日如来は法界定印を結んだ胎蔵界大日如来。 木造の坐像である。かなりの古仏と思われる。
佐谷神社は「熊野権現」とも呼ばれる。 鎮座の歴史などは分からないが、建正寺が創建された神仏習合の時代当時から、 建正寺と一体となって神仏を祀ってきたものと思われる。
石段の途中にある巨大な舟形の手水鉢は「文化三丙寅(1805)」銘。
社殿の前は展望所となっているが、その前には多くの桜の木が植えられ視界はあまりよろしくない。残念。
桜が冬枯れの時期には左谷の風景が一望できるのだろう。
最澄作と伝えられる秘仏・十一面観音立像(県指定文化財)は、年に一度の御開扉の時にだけ拝観できる。
御開扉は毎年4月の第一日曜に行われ、当日は地元の人たちによるお接待や、子どもたちの奉納相撲、花祭りも行われる。
2022-04-03、御開扉に初参加。 10:00頃、境内に入る。 11:00頃、大興善寺の住職一行が到着。 11:20頃より読経が始まった。
観音堂の前の広場には2張のテントが設置され、町内の法被姿のご婦人方が多数お接待をしていた。 新型コロナウイルスの為、規模縮小。お接待はお茶のみ。子供相撲・花祭りも見れなかった。
県指定文化財 | |||||
有形 | 木造十一面観音立像 | 平安時代 | 像高175cm | 桧材の寄木造り | 観音堂 |
有形 | 正中二年銘梵字板碑 | 鎌倉時代 | 高さ130cm | 花崗岩製 | 観音堂 |
町指定文化財 | |||||
有形 | 木造大日如来坐像 | 室町時代 | 像高101cm | 漆箔彩色像 | 大日堂 |
有形 | 木造十一面観音立像 | 室町時代 | 高さ148cm | 彩色像 | 観音堂 |
有形 | 木造菩薩形頭部 | 平安時代 | 頭長33cm | 須恵町立歴史民俗資料館 | |
有形 | 木造天部形立像 体部前面残欠 | 平安時代 | 像高133cm | 須恵町立歴史民俗資料館 | |
有形 | 木造天部形(仁王) 前面残欠 | 平安時代 | 阿形31cm 吽形32cm | 須恵町立歴史民俗資料館 | |
有形 | 木造伝教大師坐像 | 室町時代 | 像高60cm | 伝教大師堂 | |
有形 | 旧観音堂所在仏像 残欠一括 | 平安時代 | 台座や天部形部分など20体 | 須恵町立歴史民俗資料館 | |
有形 | 佐谷(熊野)神社鰐口 | 江戸時代 | 鉄製 扁円 直径20cm | 須恵町立歴史民俗資料館 | |
有形 | 建正寺関係鰐口(三) | 江戸時代 | 全て青銅製 23cm~18cm | 須恵町立歴史民俗資料館 | |
その他 | |||||
有形 | 佐谷観音谷出土経筒(三) | 青銅製二 陶製一 | 東京国立博物館 |
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