地蔵堂脇の案内板の内容を下に記す。
蘇る石碑
相島の百合越浜の石碑の拓本を2010年10月に採ったところ、享保4年(1719)7月24日の大嵐で42隻沈み61人溺死、 それを祀った石碑「合葬舟人墓」と新たに分かった。 碑文に「韓使来聘」の文字が明確に読み取れる。石碑建立者は浦人であるが、福岡藩主(黒田公)からも供養料を賜ったと神宮寺の寺資料にある。 また藩主より賜っていた神宮寺の「合同位牌」や「扁額」が、拓本にて61人の溺死者の関連も判明した。
この「合同位牌」を毎年8月16日の流れ灌頂(施餓鬼供養)で、他の事故者と併せ供養されている。 このように朝鮮通信使迎護中の溺死者61人に対して、黒田藩・浦人に永代供養をしてきたことがわかった。 当時の人の供養した尊い気持ちが現代に蘇った。
2016年5月24日 相島歴史の会
『相島歴史年表』(相島歴史の会、2015年5月)によれば、この地蔵堂内の3体の地蔵菩薩像は上の石碑に関連するものである。 地蔵堂周辺には位牌に関連する小規模な「塚」、「墓」と刻印された石墓が散在しているという。
地蔵堂はコンクリートブロック造り。 裏手には玄界灘が広がっている。 地蔵堂の正面からは、相島港を垣間見ることができる。 石碑は地蔵堂の前に立っている。
地蔵堂から南側の浜に出て、浜づたいに岬の方向へ100m足らず進むと、日蒙供養塔がある。
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