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海寶山護念院()神宮寺(じんぐうじ)☆☆☆浄土宗

イベント情報(今日から2ヶ月間)

○主催者などに事前に確認の上、参加下さい○

日時内容備考
2022-08-17(水)観音遷座祭通称「ドンドンカン」。 観音様が神宮寺から「山の観音堂」に 鐘や太鼓を打ち鳴らして遷座する祭り。

歴史

相島散策マップ』(平成25年3月 相島歴史の会作成)に、下の説明がある。現住職は31世。

正式には海寶山護念院神宮寺と称する。 近世は浄土宗西派に属し、 那珂郡住吉村(現福岡市)の妙円寺の末寺だったが、 現在は京都知恩院を本山としている。 第9次朝鮮通信使来朝時、 相島寄港の一週間前の準備作業中の享保4年(1719)7月24日大台風による福岡藩士・浦水夫ら61名溺死事故が発生、その史実を記録としたと推定される「合同位牌関連する史料」が現存。

『妙圓大姉』によれば、行明(1501-1563)が開基に関わったという。

本堂内に掲げられている延享5年(1748)に描かれたとある「朝鮮通信使客舘図」を見ると、 現在神宮寺のある場所は当時は客舘であったようで、現在より少し東側に伽藍を構えていたようである。

寺宝として、太閤大銚子(伝文禄慶長の役の際秀吉より拝領)・ 合同位牌(享保4(1719)年7月24日、朝鮮通信使迎護準備中に大風(台風)で亡くなった61名の合同位牌。)・ 扁額(「心行三昧」)が伝えられている。 合同位牌・扁額は黒田公より拝領したという。 いずれの写真も本ページ最下部の寺宝の写真に掲載しています。

参考資料:筑前國続風土記拾遺

ひとくちメモ

。快晴。今回は妻と二人。初の相島上陸である。 前々から神宮寺にはお詣りに行こうと決めており、今回やっと念願がかなう。 11:30新宮の相島渡船場出港。約17分の船旅である。 相島の港に到着後即島の西南の端の神宮寺に向かう。

山門脇の六地蔵尊の建物の脇に「ご来島の皆様へ。 島の歴史を知りたい方は本堂内に掲示していますのでご自由にご覧下さい。」の表示。 早速、本堂に上がらせて頂く。 本堂内の壁には、寺宝の「太閤大銚子」の写真をはじめ島の歴史の資料・写真がびっしり掲示されている。 厚かましくも、本堂脇の庫裡に声をかけさせて頂くと、和尚が出てこられ 島の歴史などの話しをして下さった。

その後、おそるおそる「太閤大銚子を拝ませていただけませんか?」と尋ねる。 即OK。 内陣裏に案内され、実物を箱から取り出して頂き拝ませて頂いた。 また、作者にも触らせて頂いた。 全面赤錆があるが、今でもちゃんとお湯が沸かせるくらいの良好な保存状態である。 また、結構重いものである。

帰りには、『相島散策マップ』を頂き、島内の歩き方まで説明して頂く。感謝感謝。 その後、島内を盛の桜が点々とある道を時計回りに一周(約5kmくらいか?)。 遠見番所跡はじめ史蹟を見物。 予定時間2時間を大幅に超え、16:00発のフェリーで帰路に就く。 (島内の史蹟などは、相島に掲載している。)

山門脇には六地蔵尊。山門をくぐると境内には地蔵堂ともうひとつの小堂、そして本堂がある。 お寺のすぐ西側は蒼く美しい玄界灘その先には福岡の町並・山並を望むことができる。 尚、神宮寺の和尚は、福岡市中央区の圓應寺とも交流があるようである。

寺宝の写真

神宮寺に伝わる寺宝の写真です。
謝辞:写真掲載を快く許可して頂いた中澤住職、扁額・合同位牌の写真とその説明文を提供して下さった「相島歴史の会」の今村様にお礼申し上げます。

筑前國続風土記拾遺』巻之42 表糟屋郡 下 相嶋の項

神宮寺

浄土宗鎮西派那珂郡住吉村妙圓寺に属す。 寺内に地蔵堂あり。

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