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()極楽寺跡(ごくらくじあと)[筥﨑八幡宮]不詳

歴史

『筑前國続風土記拾遺』巻之40 表粕屋郡 下 障子岳村の項に下記の記事がみられる。

極楽寺址

極樂寺谷に在。 廃址には今観音堂のミ有。此寺は釈行教か開基なりといへり。さもあるへし。行教は和州大安寺の僧にして城州石清水八幡宮より勧請せし沙門也。故に石清水宇佐等にも大安極樂寺の2寺を建立せり。依て今又宇瀰にもこれになそらえておけるなるへし。八幡愚童訓に此寺見えたり。本編に出たれはこゝには略きぬ。

又村の南一敵に妙樂寺址と云有。 博多妙樂寺の旧地也と云。 其地今も本寺より沙汰す。 又遥か山中に寺尾と云所有。 大なる礎石残れり。 是又廃寺なりといへとも寺号傳ハらす。

道路脇の石碑によれば、この地は文永の役1274の時に筥崎八幡宮の御神体が蒙古軍からの攻撃を避けるため避難していた場所のようである。

ひとくちメモ

極楽寺跡は砥石山の西側山裾にひっそりとある。 東側は若杉山、そこから時計回り順にショウケ峠、砥石山、三郡山、頭巾山、愛嶽山、大城山がそびえている。 これらの山々はかつて仏教の一大聖域を誇った領域であると聞く。 唯一平野部に開けているのは西側のみである。

参道口はここから西側に600m余り降った所にある。 そこからなだらかな上り坂を行くと、正面に石段がある。 石段脇には古井戸があり、そこを登るとかなり広い広場となっている(以下「第1平坦面」と呼ぶ)。 その先には、さらに石段があり、そこを登ると観音堂がある(以下「第2平坦面」と呼ぶ)。

第2平坦面には、左右に間口1間程のお堂が2つ。 その間には自然石に画像らしきものが刻まれた石塔が建っている。 向って右手が観音堂、左手が筥崎八幡宮の御神体が避難したといわれるお堂である。 この2つのお堂の中は扉で閉ざされており、御神体、観音像は拝む事ができなかった。

第1平坦面の北側には多数の石仏・石塔群が一列に並んで立っている。 南側にはかなり大きな建物が建っている。 この地域の方々の神事・仏事に使われるものではなかろうか?

境内は地元の方々によって手入れが行き届いている。 イヌマキ・クスノキの大木も見ものである。

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