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護聖山()瑞梅寺跡(ずいばいじあと)☆☆☆真言宗

歴史

ご注意。当寺の場所は作者は特定できていない。MAPのボタン押下で表示される位置は作者が推定した位置です。お間違えのなきよう。瑞梅寺の位置についてを参照のこと。

寺は康暦元年1379、乙丸美濃守種綱・楊井入道道寂の2人により創建。 天徳山授寶院と号した。はじめは真言宗であったようだ。 後に福岡市西区常楽寺[1]の住持・仁教が禅宗寺院として再建。護聖山と改めた。 『筑前國続風土記』の作者益軒1630-1714が生きた頃は「(わずか)成草堂一宇有」の状態だったようだ[2]『筑前國続風土記附録』を編んだ加藤一純1721-1793の頃、博多東長寺の末寺となっていた。 「境内に薬師堂あり」の状態だったようだ[3]。 本尊の如意輪観音像は古仏で東長寺に移された[4]。 現代も東長寺にあるのかどうかは未確認。

ひとくちメモ

、瑞梅寺の所在を求めて瑞梅寺ダム周辺をさまよう。 我が念仏4号にて麓の井原交差点より県道563号線をひたすら登る。 手がかりは『筑前國続風土記』の「井原村より井原山への行道の西の山の側に在。」 「此堂に上り、目を遊しめて遠く眺望すれば、眼界廣しくて絶景の佳境也。」のみ。 途中の光明寺あたりから道の勾配がきつくなる。 さらに登り、瑞梅寺ダムにたどり着く。とりあえずダムの撮影をしてさらに登る。 藤原神社→キトク橋駐車場を過ぎさらに登るが道は細くなり、心細くなってここで引き返す。 手がかりは発見できない。

帰りは「此堂に上り、目を遊しめて遠く眺望すれば、眼界廣しくて絶景の佳境也。」と神社をキーワードに下る。 道脇の2ヶ所の藤原神社境内でも何か寺の遺構がないかを探すが手がかりは無い。 そもそも、この道沿いに眺望が開ける場所は無いように思える。

瑞梅寺ダム(昭和53年1月に管理開始)の建造によりこのあたりの地形は大幅に変わったと思われる。 瑞梅寺の在った場所はダム湖の底になってしまったのかもしれない。

下に2つの藤原神社の記事を記す。藤原神社(下側)藤原神社(上側)をクリックしてご覧ください。それぞれの鎮座地は上の地図をご覧ください。

瑞梅寺の位置について

寺の場所を特定できる文献は作者が知る限り、下記の2点のみである。

『筑前國続風土記』(巻之22 怡土郡 瑞梅村の項)
「井原村より井原山への行道の西の山の側に在。」
「此堂に上り、目を遊しめて遠く眺望すれば、眼界廣しくて絶景の佳境也。」
『怡土志摩地理全誌』(Links① 参照)
「天保の頃1830-住職深慧源芳は、仙厓、亀井昭陽と親しく、書画に巧みて、「辰ヶ橋仙厓」といわれた。」

上の2点から考えると、場所は辰ヶ橋、すなわち現光明寺付近で、「西の山の側」で「眼界廣しくて絶景の佳境也」となる。

光明寺周辺は東西が山となってその間を瑞梅寺川が流れている。 このあたりの西側山裾と思われる。

藤原神社(下側)

『筑前國続風土記附録』巻の42 怡土郡 下 瑞梅寺村の項に下記の記事がみられる。

藤原社神殿拝殿造續2間4間 祭礼9月18日・奉祀徳安出雲

井原山村の内ヒガシダニにあり。東谷17戸、辰ケ橋[5]10戸の産神也。 藤原廣繼[6]の霊を祭るといふ。

石段は約100段。かなり急勾配である。瑞梅寺ダムとの位置関係から考えると以前は別の場所にあり、ダム建設で移転したのではなかろうか? 参道口からは光明寺の境内が見える。


藤原神社(上側)

『筑前國続風土記附録』巻の42 怡土郡 下 瑞梅寺村の項に下記の記事がみられる。

藤原社神殿拝殿造續4間2間 祭礼9月20日・奉祀徳安出雲

西谷にあり。24戸の産神也。 祭る所東谷の神に同じ。

神社の上手には小集落がある。門前の道を挟んで瑞梅寺川の清流が流れている。 境内には、社殿とその左隣に通夜堂がある。通夜堂内には囲炉裏がある。 ムクノキと思しき大木がみられる。 しっとりとした味わいのある境内である。


関連地図

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脚注

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