お寺めぐりの友

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() 千早新田地蔵菩薩(ちはやしんでんじぞうぼさつ) 不詳

歴史

案内板(前原市による)によると、天保4年1833、ここより北500m、東西約1kmにあった川洲が干拓工事により田園化されたという。 おそらくこの地蔵堂は、その年以降に干拓を記念して建立されたものであろう。

同案内板によれば、当時この地は天領で日田代官塩谷大四郎の訓令により天保3年に起工、 翌4年に築堤が完了した。総面積3768アール。 加布里の富豪東屋こと末松政右衛門と、岩本の油屋こと牛原藤蔵が協力し、私財を支出して完成させたという。

地蔵堂前には完成を祝う博多聖福寺仙厓和尚の歌碑がある。御年83歳の時の作という。

千早振(ちはやふる)神代の海を田作りて(たみ)もゆたかなに歌ひ舞里(まいさと)[1]

ちなみに、この地の南側一帯の田園は「岩本」といい、元和3年1617、唐津藩主寺沢志摩守の命により干拓された集落である。その後、岩本地区とこの千早新田地区は天領となり明治を迎えたという。

ひとくちメモ

地蔵堂の間口はわずか1間ほど。小さなお堂である。 観音像が3体安置されている。 堂内には「糸島西部八十八ヶ所 第29番 千早新田地蔵菩薩」の表示がある。 観音様には真新しい生花が供えられており、地元の方々に大事に守られているようである。 お堂の裏手からは、船越湾越しの可也山を眺めることができる。

仙厓歌碑は高さ2mほど。存在感のある書体である。

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脚注

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