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不知火山() 瑠璃光寺(るりこうじ) ★★ 真言宗大覚寺派

歴史

瑠璃光寺の歴史については、下に参道石段脇にある案内板の内容をそのまま記載する。

火山(ひやま)瑠璃光寺とその歴史

筑前國続風土記』によると火山の名は、神功皇后(じんぐうこうごう)が山上で火を焚いた ことから付いたといわれている。 古来より山頂に火を焚き夜間の海上交通の目印となっていたことに由来するものであろう。 また、海上からの外敵侵入の際、太宰府へ急を告げる狼煙(のろし)山であったという説や、 「続日本記」に記された古代山城「稲積城(いなづみじょう)」がこの地であるという説もある。

瑠璃光寺は山号を不知火山といい、真言宗の寺院である。

この地にいつ頃から伽藍があったかくわしくはわかっていないが、開基は奈良時代のインドより渡来した 清賀上人(せいがしょうにん)とされ、雷山千如寺などと共に屈指の古刹といえる。

近年、境内の山中から平安時代の青銅製の経筒(きょうづつ)紙本写経(しほんしゃきょう)を収めた筒型の容器) が出土しており、古来より仏教の聖地として信仰を集めた所であったことが判明している。

本尊は江戸時代につくられた薬師如来立像であるが、室町時代後期につくられた旧本尊の薬師如来立像も平成14年に 修復され境内に祀られている。

境内の湧水は特に眼病治癒に効能があるとして有名であり、遠方より訪れる人も多い。

志摩町・志摩町観光協会

1月・4月・7月のいずれも8日の10時より年3日だけ開帳される。

参考:『筑前国続風土記拾遺』巻之50

ひとくちメモ

山門左手に火山(ひやま)山頂(標高:281m)への登山口があり、山頂のすぐ下まで車で行くことができる。 車を下りて石段を登るとフェンスで囲まれた巨大なアンテナ施設がある。 フェンスに阻まれて、残念ながら山頂からの景色を眺めることはできない。 その脇にひっそりと弘法大師が祀られた小さな祠がある。 地元の方々の信仰心なのか生花が供えられ掃除もゆきとどいている。

当寺は雷山千如寺の住職が兼務しています。上の電話番号も雷山千如寺のものです。

筑前国続風土記拾遺』巻之50 志摩郡 下 稲留村 焼火神社瑠璃光寺

日山にあり。所祭日奈万知姫命隠岐國知夫郡に本社有。遠賀郡浅川日峯社の所に委し 後世景行天皇日本武尊をも相殿す。

此神闇夜に舩人海上に迷ひたる時に山上に火を立て其着へき所をしらせ給ふ故に焼火権現といふ。 今の世にも往々此事有。 此社坐故に火山といふ。 後に火を日に改む。

後代いつの世にか此山に佛堂を建て此神社は寺の鎮守の如くなり行て今は寺の端つかたにいささかなる小祠有。 歎くへき甚しき者也。 世の人日山の薬師有事のミ知て此神ましますことしらす。 日山の名のおこれるよししる者なし。

此山稲留小金丸野北吉田の4村に誇るの薬師は焼火神の本地佛なるへし。 寺を瑠璃光寺と云。不知火山と号す。 真言宗雷山千如寺に属す。 僧清賀か開基といふ。雷山所蔵の弘安8年1285の寄進状に瑠璃光寺とあるは此寺の事成へし。

昔は山上小金丸村の堺今堂床といふ。に在しをいつの比にや今の堂に安置す。此寺に後宇多帝の綸旨とて写有ハ贋帖也。

焼火神ハ今は金比羅といふ。

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