お寺めぐりの友

PC版

白糸滝観音() 小蔵寺(おぐらじ) ★★ 真言宗

歴史

小蔵寺は、少なくとも『筑前国続風土記』の書かれた元禄期までは、現在の白糸の滝より2kmほど降った 白糸観音堂(熊野神社)付近にあったようである。 熊野神社の本堂右手には観音堂(建物は近年建築されたもの)が今でもある。

参考: 小蔵寺境内の案内板 『筑前国続風土記』

ひとくちメモ

小蔵寺は怡土七ヶ寺のひとつに数えられていたという。

本堂より100mほどのところには白糸(幅:11m,落差:24m)の滝がある。

羽金山北側、標高500m超に伽藍を構えている小蔵寺に辿り着くには、麓から曲がりくねった国道12号線、それから林道をひたすら登って行かねばならない。 沿線は山林・畑など絶景ポイントが多い。 また、展望所からの糸島市・その先の玄界灘の眺望もすばらしい。

境内には茶屋などもあり初夏には参道のアジサイ・ 夏は水遊び・流しそうめん、秋は紅葉と観光客も多い。 駐車場脇のカエデの木は紅葉の時期にはことさら美しいと言われているが、 作者は3年連続でその時期を見逃している。 ここは標高が高く麓の紅葉より2週間ほど早いという。11月初旬が見頃とのこと。 また来年観に行こう。(記)

小蔵寺境内の案内板

白糸滝観音小蔵寺(おぐらじ)再興

白糸滝を中心とした霊域に今を去ること千五百余年前聖武天皇の勅願寺として清賀上人の建立 になる怡土の七大寺小蔵寺がありました。

大同年間808には弘法大師、唐より帰朝され鎌倉時代当山にて滝の行をされ京に上られました。

鎌倉時代以降は特に源頼朝・足利尊氏の祈願寺として、又蒙古の大襲来の時は北条実政・英時をはじめ 鎮西奉行少弐経資、領主原田公と共にお滝に籠もり眼下に一望する敵軍の退散を祈願した所です。

江戸時代になり、宗旨改め檀家制度が出来衰退をたどるようになりました。

土地の脈所 怡土国の心臓部であった寺が約百年前に廃仏毀釈 そして災害に逢い廃寺同然になり、寺宝等散失しました。 幸い小蔵寺の御本尊は立派な御尊影のまま永い間途絶えた香花灯明と読経を待ち望んでおられ、この霊域に由緒深い白糸滝観音小蔵寺を再興して正法の弘通を子々孫々にわたる現世安穏と心の安定を願い、不滅の法灯を灯すべく至難の大願菩薩行を起こしました。

有縁・篤信の善男子善女人の皆様千歳一遇の聖業をご理解戴き、大願の成就に御協讃を伏して懇願申し上げます。

昭和62年6月18日 小蔵寺住職 岡 公然 敬白

筑前国続風土記』巻之22 怡土郡・公領・唐津領

○小倉山

小倉村の上に在。石徑廿町上れば、小倉迚小なる村有。又熊野三所権現の社有。龍樹権現も相殿に祭れり。 十一月十八日祭禮あり。女人の参詣を免さず。社家者の説には、神功皇后の勧請し給ひし霊地なりと云。

其辺に寺地有。聖武天皇の勅願として、清賀上人創立し 小蔵寺と号す。 社の下に、古佛の観音堂有。 足利尊氏、其外國主領主の願書寄進状など甚多し。 然れ共雨に朽ち、蟲にはまれて、(たしか)にみえす。 惜しむへき事なり。 昔は寺院僧坊も多かりしとかや。今はわつかに小社及観音堂一宇のみ残れり。 これも怡土群七箇寺の内なり。

関連寺院

Top