妙立寺は『筑前続風土記』巻之22 怡土郡 如意の項に記載されているとおりの緑が多く都会の喧騒を離れた環境のお寺である。そのまま引用する。
高祺村に属す。高祺本村より七八町北の方の山中に在り。民家數戸有。其上の方に如意輪観音堂有。 此所は昔如意寺とて寺有し跡也。故に如意と云。俗に「ねを」と云は訛なり。 此寺の本尊は如意輪観音也。故寺號とす。其本尊は聖徳太子の御作也と云傳て今に在。 其寺の下の方に妙立寺とて、日蓮宗の寺有しを、寛文12年(1673)日清と云僧、此古寺の跡に移す。 如意輪寺の跡地なれば如意山と號す。彼如意輪観音の木像もともに安置せり。 此所深山窮谷に非ずと云ども、幽僻の地にして塵境を隔る故に、常に詣来輩稀也。清き瀧[1]有。向にちかく山有。 櫻鶴冠木抔有て、春秋は殊に見るに堪たり。人聲まれにして、唯水の音鳥の聲のみ聞えて、 心閑に日長く、誠に奇絶なる佳景也。暇有人はともにあそぶべし。
益軒の観たであろう景色とほぼ同様の景色を体験できます。 春の桜、初夏の新緑、秋の紅葉。いつお参りしても自然がたっぷりの寺院である。
境内には、動響ノ瀧・如意輪観音堂などがある。
伊藤氏メモ現本堂は昭和元年の建立。本堂右手奥にある如意輪観世音菩薩の祀られているお堂は現在建替え工事中(2014年7月まで)で、菩薩像も仏具店へ預けられており拝観することはできませんでした。現第23世。()
妙立寺(ネヲイ・日蓮宗・仏堂2間半4間)
如意輪山と号す。福岡勝立寺に属せり。 村より7町許あり。 寺内に鎮守の石祠有。 又観音堂あり。 是本編に見へたる如意輪寺の本尊也。 観音堂の下に瀧あり。 元禄16年の春、貝原篤信此所に遊ひ、瀧の名をえらひ、其妻東軒に書せしめ住某に與へぬ。 今荘飾して寺にあり。茲に寫す。
「如意輪山に瀧あり。金葉集にのせられたる大納言経信のことはによりて、とゝろの瀧と名付遣」よし。(後略)
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