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太祖山() 金龍寺(きんりゅうじ) [金龍禅寺] ★★ 曹洞宗

歴史

金龍寺境内の石碑によれば、永正5年1508高祖(たかす)城々主原田興種公が父弘種公菩提の為に創建したとある。

筑前続風土記』巻之22 怡土郡 金龍寺の項に「天正15年1587に原田氏當國を去て肥後國に往し[1]後は、衰微に及べり。 慶長16年1611、長政公の家臣高橋伊豆、此寺の檀越(だんおつ)と成り、彼寺を城下に移さん事を推挙 して、荒戸山に寺地を給はり、高祖村より寺を移せり。」 「然れ共其奮地なればとて、此所にも寺を残し置て今に在。」とある。

これらのことから、この太祖山 金龍寺と福岡市の耕雲山 金龍寺とは深い関係にあることが分かる。 参考:『拾遺

ひとくちメモ

金龍寺の裏手にある高祖山には怡土城跡がある、ここでは詳細には述べないが8世紀頃に建てられた山城跡である。 高祖山は山道が縦横にあり、まる一日かけて回るにはもってこいの場所である。 分岐点には丁寧に道標が設置されているのもうれしい。

山門前・庫裡前の石庭は見事である。本堂に向って右奥には原田家累代の墓碑群がある。 境内は高祖の西側中腹にある。可也山・雷山山系・高祖地区の町並みを一望できる。

伊藤氏メモ現本堂は昭和56年1981の建立。現第30世。現住職の兄上は門司の崇聖寺でご住職を務められているとの由。()

筑前國続風土記拾遺』巻之46 怡土郡 上 高祖村の項

金龍寺

太祖山と号す。 禪宗洞家周防國吉敷郡山口瑠璃光寺の末院なり。 永正5年1508高祖城主原田彈正小弼興種開基し、 其父弘種の菩提寺とす。 弘種は去明應5年1496正月29日に没す。(以下略)

寺内に見桃院殿の墳墓及原田氏代々の墓碣18基。昔は境内に散在せしを、近代住僧石を一所に集めり。 及位牌あり。 また龍光院殿[2] 霊源院殿[3]の尊牌を置り。 また手塚甚兵衛水雪か男か墓あり。

什物に原田了栄寄進の金舎利塔高1尺1基あり。 昔兆典司か書る涅槃像ありしか、先年火災に焼失して今はなし。

脚注

関連寺院

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