案内板の内容をそのまま記載する。
「白み口」と「地蔵尊」
初代唐津城主、寺沢志摩守広高が、 慶長4年(1599)に怡土郡3万石を加増され開田や開塩事業の督励のため、 よく現地廻りにでかけていた。
早朝に唐津を出て馬で出発、 東の空が白みかける頃ちょうどこのあたりに来ていた。
その為にこの周辺を「白み口」と呼んでいた。
地蔵尊は享保18年(1733)に大飢饉があり当時の二丈町の3分の1に当る約1500人の人々が死亡。 地蔵尊にまとめて葬った。 相前後して六ヶ所の地蔵尊がつくられたという。
番所の地蔵尊の台座には、この功績をたたえて大法寺7代和尚のことが天明(1786)の 日付で残っている。
福吉校区まちづくり推進協議会
祠の右側には「地蔵菩薩台座曰」なる台座の拓本と思しきものが額に入って安置されている。 かなりよみづらいが「大法寺高績巧和尚云々」の文字がある。 大法寺はここから南側600mほどの所に伽藍を構えている。
御堂前の国道202号線は唐津街道である。
番所跡前は国道202号線が走り、車がひっきりなしに往来している。 番所跡には「地蔵尊」が鎮座している。 地元の方々の信仰心があつく、きれいに清掃され、花も手向けられている。
周辺の寺院・仏教施設の検索は当ページの上部の「4km範囲寺院」のボタンをご利用下さい。