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()宝幢院(ほうどういん)[興福寺跡・寶幢院]☆☆☆真言宗大覚寺派

歴史

御堂前に掲示された案内書の内容をそのまま記載する。

寶幢院(ほうどういん/廃寺)

当院は弘法大師(空海)の開基と伝わる興福寺の跡に、江戸時代の明和年間1764-1771のこと、雷山千如寺大悲王院の庵室として結ばれます。 一旦廃庵とされますが、大悲王院2世湛道律師が天明元年1781に再興して今日に至ります。

当院の諸仏は興福寺に安置されていたもので、宝永3年1706に太宰府戒壇院の運照律師の指導により京都の仏工照暁もよって修復されています。

なお、当院には閻魔大王座像(江戸時代中期)が安置され、毎年2回の閻魔さまにおいて地獄絵図10幅(江戸時代後期)を開帳します。 おって、当院は旧糸島郡西部八十八ヶ所霊場[1]として近在の信仰を集めています。合掌。

(祭典)

参考:『筑前國続風土記附録』

ひとくちメモ

本堂は施錠されており、格子戸越しの参拝となった。 祭壇は3区画となっており、各区画の前にも格子戸(泣)。 ご本尊の延命地蔵も金色の胴体のみしか確認できなかった。 本堂裏手には多くの石塔・石仏群がみられる。 歴史を感じさせる境内である。

当院の南西側には託社神社が鎮座している。 当院との関連は不詳。

託社神社

『筑前國続風土記附録』巻之42 怡土郡 下 多久村の項に下記の記事が見られる。

十六天神社神殿方5尺・拝殿2間2間半・祭禮11月5日・石鳥居1基・奉祀高橋主水

村中にあり。産神なり。天神7代・地神5代を祭る。 鎮座の始詳ならす。 社内に西宮大神社・大國主命社あり。

Links① に「古くは「十六天神」と云われていましたが、慶応年間1865-1868、現社名に改名。」とあるので、上の記事はこの託社神社のものに間違い無いだろう。鳥居の額束にも「十六天神」とある。

鳥居は「元文5丙申年17407月吉祥日」銘。社殿の裏手の庚申塔は「宝暦12壬午年1762」銘。

作者は未確認だが、Links① によれば、社殿の前の軒下には2体の肥前狛犬が祀られている。 そう言われれば、鳥居はパット見、我が筑前国で普段良く見る明神鳥居のようだが、少し違和感。 柱は下部が太く上部に行くに従って細くなる形。しかも2本継。肥前鳥居の特徴もあるようだ。 笠木・鳥木ははっきり分離しているようなので明神鳥居の特徴である。 肥前鳥居と明神鳥居を合体したような形状である。

ここから先は、物好き・ど素人の作者の推理。 この多久という所は、筑前領の西の境界であった。 この地のすぐ西側は、江戸期には時代によって唐津領・幕府領・対馬領と目まぐるしく変わった(Links② より)。 鳥居が寄進された天文5年頃は幕府領であったが、肥前唐津の文化の影響を受けたものなのかも知れない。肥前狛犬が祀られているのもそういった理由なのかもしれない。あるいは、柱部分とその上部の部材はそれぞれ別の時期に作られ合体されたものかもしれない。 これ以上深入りは禁物。


『筑前國続風土記附録』巻之42 怡土郡 下 多久村の項

○地蔵堂タケゾノ

寶幢院といふ。 地蔵佛は弘法の作といふ。 廣目天、毘沙門天も安置せり。 いにしへ廣福寺といふ寺跡也。 志摩郡青木村にありし寺號也。 寺内に八大龍王石祠あり。


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脚注

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