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()永昌寺(えいしょうじ)[加藤社]☆☆☆日蓮宗

歴史

『怡土志摩地理全誌(1.怡土編) 松国村の項によれば、下記のとおりである。

加藤社(永昌寺)

加藤清正霊を祀るめずらしい寺。 文政10年(1827)、田中猪五郎が熊本から勧請す、 中津大法寺の受持になった。 祭日には遠近の信者が群集したようである。

明治維新後、 福岡法性寺受持になったが、 堂舎が荒れたので松尾島太郎らが発起人となり、 明治11年(1878)年、堂を再建した。

参考:『糸島郡誌/加藤社』

ひとくちメモ

永昌寺は松国の里の小高い山の北側斜面にひっそりと伽藍を構えている。 石段を登ると本堂があり、その裏手の一段高い所に清正大神社が鎮座している。 この清正大神社は、かなりの年代物で見応え十分である。

この山の南側斜面には松国大山桜がある。 お参りの帰りにでもぜひご覧あれ。(徒歩10分〜15分程度か?)

『糸島郡誌/加藤社』より

伊藤氏メモ『糸島郡誌/加藤社』に下記の記事がみられる。()

松国にあり。浄池院殿永運日乗清正(加藤清正)の霊を祭る。 堂宇は、文政10年(1827)3月、村民田中猪五郎という者、(もと)領主中津藩庁の許可を得て建立する。 為に、1ヶ年米5俵宛・10ヶ年間50俵を献納し、中津日蓮宗大法寺の受持となる。

陰暦3月24日及び6月24日の両度、住職出張して祭典を行う。遠近衆庶の参拝(すこぶ)る多く、郡方役人出張して諸般の取締あり。

廃藩置県(明治4年(1871))の際、改めて福岡市蓮池町日蓮宗法性寺の受持と定め法灯を継続せしに、不幸、法運次第に衰え、堂塔荒廃し(また)昔日の観なきに至る。 (これ)に於いては、信徒松尾島太郎等苦心経営の結果、稍々(やや)(もと)に復し、明治11年(1878)堂宇敷地とも同寺へ寄附し、現今同寺の所有となれり。

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