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大悲山() 養源寺(ようげんじ) 天台宗

歴史

Links①のページによれば、 元は隣接する大分八幡宮の神宮寺で長楽寺と号していた。 明治のはじめ、神仏分離に伴って廃絶。 このとき博多湾沿岸の荒津山南麓にあった養源寺[1]を移転し、相続するかたちでこの地で法灯を受け継ぐ。 前身である妙見山和光院長楽寺は延暦22年803に建立。 今も小字名に残る平等寺・清苔寺・朗月寺・恵見寺・福生寺などの末寺をもつ大きな寺院であった。

隣接する大分八幡宮には、観音堂・薬師堂・弥勒堂・地蔵堂が江戸期まで存在しており、 現在でも仁王像が安置されていることなど、僧侶・神宮が共に社寺の護持と八幡信仰の宣布に勤めていたことが伺える。 安置してある仏像は、長楽寺や大分八幡宮から受け継いだものが多く、 聖観世音菩薩像(県指定文化財・850年前の作)、弥勒菩薩像薬師如来像十二神将像(いずれも800年前の作)などがある。 残念ながら、梵鐘は戦時供出され、平成11年再鋳のものという。

大分八幡宮は福岡市の筥崎宮の前身という。 その紹介はLinksのページを参照の事。多数の写真も掲載されています。

養源寺の東方1km足らずの道路際に大分廃寺跡がある。 養源寺の前身長楽寺との関係が気になる所であるが、これ以上の追求は後の楽しみとしよう。

参考:『筑前國続風土記拾遺

ひとくちメモ

養源寺はJR篠栗線の筑前大分駅の南方600mほどの所にある。 その西隣には大分八幡宮が鎮座している。 八幡宮の参道はその東に1kmほど続いているようで、昔ながらの幅の狭い道である。 沿線は古い町並みも散見できる。

境内には、平安末期作といわれる聖観音菩薩が安置されている観音堂がある。 本堂前の藤棚の下には仁王像・地蔵堂・石仏の安置された石祠などが見られる。

大分八幡宮には、仁王門がある。お見逃しなきよう。 大分八幡宮の仁王門の写真参照。

蛇足:筑前大分駅前で、養源寺への道を地元のお二方に尋ねたが、お二方とも「分からない」と言われた。 大分八幡宮があまりにも有名な為と思われる。 お参りの際は「大分八幡宮はどこですか?」と尋ねる方が無難である。

伊藤氏メモ観音堂内の聖観世音菩薩立像は、目の大きな金網越しにじっくり見ることができます。 観音堂前にある説明板の内容は次のとおりです。「聖観世音菩薩立像:平安時代末期の作であり、何本もの木を組み合わせた寄せ木造りの高さ1.65mの立像です。 手を胸の前にあげて蓮華を持ち、右手は下にして与顔の印相を示しています。 穏やかな顔をしたこの像は、全体に塗られている漆も美しく、当時の仏師定朝の作風をよく受け継いだ作とも言われています。」()

『筑前國続風土記拾遺』巻之27 穂波郡 上 大分村の項

八幡宮

本村に在。御社ハ南に向ひて境内廣く前に水流れ、 後ハ山に倚り喬林翳鬱として殊に神さびたり。 所祭三座應神天皇 神功皇后 玉依姫命也。 九月九日祭礼あり。 祝史井上氏、社僧長樂寺奉祀す。 社傳に云。 神功皇后譽田皇子を相具し郡に登り給はんとて糟屋郡宇瀰邑より此村に至りて留り給ふ。 かゝる霊跡なれは神亀3年726御託宣ありて朝廷より御社を建らる。 此事宇佐宮託宣集に出 延喜21年921箱崎に奉らる。 然れとも此地にも猶残して三座の神を祭れり。 (中略)

宮司坊長樂寺ハ東側に在。 妙見山和光院と号す。 天台宗にして比叡山延暦寺の末派也。 此寺号往古は本社の北1町許に在て今も地名を長樂寺と呼り。 巨刹にて末寺の址なども所々に其名残れり。 平等寺 清苔寺 朗月寺 恵見寺 福生寺等也 何の宗派なりしか詳ならす。 (後略)

脚注

関連寺院

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