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飯塚山() 太養院(たいよういん) [太養禅院] 曹洞宗

歴史5 phrases

その歴史については、長崎街道飯塚宿の概要に『筑前國続風土記』の記事を記載している。 ここでは、『筑前國續風土記付録』巻之24 穂波郡 下 飯塚村の項を下に記載する。(段落、西暦年号、「」は作者が挿入した)

太養院洞家 佛堂3間6間 福岡安國寺の法中也

浦町に有。 はしめハ器運山香積寺太養院と號せしか、慶長5年1600國君の命により飯塚山と改む。

この寺に長政公の尊像を蔵む。 慶長2年1597公再ひ朝鮮に赴かせ給ふ時、此寺にやとらせ給ひぬ。 此時寺僧勝栗を奉りしに、公「此寺の産にや」とわせ給ふ。 寺僧、「是は鞍手郡勝野村と申所にて候」と答へ奉る。 公「物と云ひ、出所と云ひ、出陣の門出には吉端なり」とて、ことに感悦し給ひぬ。 寺記に見へたり。

此寺の本尊観音佛ハ天平2年730行基の作也と云う。 本編に見ヘたる功傳ハ元和2年16169月に叙せり。境内に墓有 寺内に秋葉社・天満宮・地蔵堂2宇・弁財天堂・経塔有。

ひとくちメモ2 phrases

太養院は長崎街道飯塚宿であった本町商店街のアーケード脇に伽藍を構えている。 山門を出て、狭い路地を60mほど進むとそこは本町商店街のアーケードである。長崎街道はここを通っていた。

伊藤氏メモ門前の説明板によれば次のとおりである。 「今から約1300年前に行基を開祖として曹洞宗の寺院として開かれたが、 約700年前に鎮西の宗祖聖光上人が器運山香積寺と命名した。その後、香積寺は太養院と改称され山号も飯塚山とされた。 本尊は秘仏とされる聖観音坐像であるが、その他にも木彫りの十二尊天像が安置されている。」 また、朝鮮出兵時以外にも「黒田官兵衛と長政の親子は、 1600年に中津から筑前52万石へと移るときにも当院に約1か月滞在した。ここで博多の様子を伺い、 それから八木山峠を越えて博多の名島城へ入ったといわれている。」 門前は寺町の雰囲気が漂う。()

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