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宮谷山() 宗賢寺(そうけんじ) [宗賢禅寺] 曹洞宗

歴史5 phrases

宗賢寺の由緒は、本堂右手の山林の中にある内野太郎左衛門の墓標横の350年忌の石碑が分かり易い。その内容を下記に示す。

卜祐宗賢居士 内野太郎左衛門の墓

内野氏はもと肥前松浦にあって松浦姓を称していた。 当地に「松浦川」「唐津庚申」の地名や塚が残るのは、内野氏の祖先に従ってこの地に移ってきた人々の故地に対する望郷の思いを示すものと言われる。 下って25代の子孫饗庭彦二郎重信は、黒田長政公の筑前入国の時もちいられ1万石の代官を命ぜられ、同時に、地名に因んで内野太郎彦左衛門の名を賜った。

慶長年間1596-1615、参勤交代のための道路整備に際し、太郎左衛門は冷水峠開削の任に当り慶長17年、街道・内野宿を完成させた。 従来山間の一寒村に過ぎなかった内野が、長崎街道筑前六宿の一つとして栄えるようになったのは、実に太郎左衛門翁の功績にほかならず、内野の開祖と仰ぐ所以である。 元和9年1623長政公が没すると薙髪(ていはつ)して小庵を営み、公の戒名から卜の一字を許されて卜祐宗賢と号し、日夜公の菩提を弔った。寛永16年163961歳で没した後、 この庵を改めて寺となしたのが今日の宗賢寺である。 (後略)

宗賢寺の参道脇にある立て札によれば開基は嘉麻市上臼井の太平山 永泉寺12世和尚とのこと。

ひとくちメモ3 phrases

宗賢寺は長崎街道内野宿のメインストリートであった所(現内野郵便局)より北側に進み、JR筑豊本線の踏切を渡った左手を線路沿いに進んだ所に伽藍を構えている。

境内は森に囲まれひっそりとした静けさがただよっている。 本堂右手の山道を数10m登るとそこに内野太郎左衛門の墓地がある。 また、本堂左手の石段を登ると宗賢寺第6代大澄和尚が明和3年1766遠江の国から内野宿の火除けの神として勧請した三尺坊秋葉大権現が鎮座する。

本堂前にはひょうたんの種にお持ち帰り用のビニール袋が添えて置いてあった。(これはうれしい) また庫裏前にも多数のひょうたんが干してあった。 和尚の趣味であろうか?

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