伊藤氏メモ上のホームページによれば、開基は西蓮(瓜生満左衛門)。文永年間(1264-1274)に豊後(大分県)から当地に移住した瓜生家の第11代で、文禄年間(1591-1596)に出家し一寺を創建。慶長元年(1596)に西光寺を公称。現本堂は嘉永5年(1852)に建立。現庫裏は明治5年(1872)に長崎街道内野宿の本陣の一部を移築。平成14年(2002)伝統建築の技術により、その本堂・庫裏を5年間で復旧改修した。
門前の案内板には下記の記載がある。
黒田官兵衛(如水)と西光寺
(前略)1601年福岡城建設のため、用材を求め山口村に訪れた時の宿泊場所が「西光寺(馬敷村)」で、 現在も黒田家ゆかりの品々が多く残っています。 また、三郡山麓(山口村)には今尚「如水が原」「休場」「山立」など、ゆかりの地名が残っています。
黒田官兵衛いいづかプロジェクト協議会
参考:『筑前國続風土記拾遺』
西光寺は馬敷の集落の中の小高い丘の上に伽藍を構えている。
境内域はかなりの広さである。苔むした石段を登り山門をくぐってすぐ右手と、本堂裏手の庭園・池はみごとである。名刹である。 境内には楓の樹が多数あり、紅葉は見事である。 山門脇のサザンカ・桜もお見逃しなく。
周辺は広大な田園地帯で緑を楽しむことができる。
上のホームページによれば、庫裏はここより4kmほど南側にある長崎街道の内野宿の本陣の一部を移築したものという。 思いつきでお参りするもので庫裏がどの建物かを作者は確認できなかった。
蛇足ではあるが、浄土真宗本願寺派の寺院に院号(白馬院)があるのは作者は初めてである。
伊藤氏メモ40段ほどの苔むした石段を上っていると、古刹の風が感じられてくる。山門をくぐってすぐ右の、蓮の浮かぶ池も趣が深い。奥地の集落に位置しているのもよい。()
西光寺
下村に在。 真宗西京都佛照寺に属す。 文禄年中(1591-1596)西蓮といふ僧開基す。 慶長元年(1596)寺号木佛を許さる。
當寺に龍光公[1]の尊牌を納む。 其故は公福岡の御城を築き給はんとて、 材料を求めて慶長6年諸山を巡見し給ひ、 御笠郡柚須原村[2]より山を越て當村に入給ひ當寺に御寄宿有し時、 住僧西蓮か當寺開基の功を賞し給ひ、 田5畝3歩、畠2反5畝12歩、 竹藪320坪、山林3500坪等、地方20間を下し給ハりしかは、 西蓮歓喜のあまり御法号を下し置たまは丶末世遠く此恩頼を謝し奉るへしと申し上しかハ、 「如水圓清」[3]の4字を御自筆に遊ハして給ハりしより、 今に至るまで尊牌を安置奉り、香華をささけて礼拝する所也。 其時の田畠竹林等の券文も尊牌と丶もに傅へて珍襲せしか、 元禄14年(1701)(アキ)17日に當寺回禄[4]にかかりし時焼亡す。 其内霊牌のみ幸にして今に存せり。 今ある所の券文は、寛政2年(1790)新たに賜はりし物なり。(久野氏添簡あり) 其跡公の當寺にて用ひ給ひし幕灯燈も其ま丶に給ハりて今に持傅へたり。
又下村に羅漢堂あり。 宝永年中(1704-1710)堂の北なる田中より掘出し丶とて、堂内に20余の石佛を置り。
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