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天徳山()太平寺(たいへいじ)[太平禅寺]★☆☆曹洞宗

歴史

参道脇の案内板の内容をそのまま引用する。

太平寺は、福井県吉田郡の大本山永平寺と神奈川県鶴見区の大本山総持寺を本山とする曹洞宗の寺である。 太平寺は山口城主大内多々良朝臣義興(凌雲院殿傑心宗勝大居士)が、 長禄元年(1457)亡父(大内政弘・法泉院殿真翁性公大居士)追善菩提の為に創建された寺であり、 山口県下小鯖にある月光山泰雲寺御開山石屋真粱大和尚8世の法孫、竺心慶仙大和尚(長禄2年(1458)11月2日示寂)を御開山として拝請した。 大内家より寺田四町八反の寄進があり、開創当時は大寺にて末寺19ヶ寺ありましたが、 大内家滅亡後次第に廃寺となる。 寛政4年(1792)当寺19世碓宗石嘴大和尚時代に寺檀一心同体となり再興す。

開基・大内義興(享禄元年(1528)12月亡、52歳)は周防国山口(現在山口市)を本拠とした戦国大名にて周防・長門・筑前・石見・安芸等の大守護職を兼ねて、 足利10代将軍義稙(よしたね)を復職させ細川氏に代わって管領として10年間幕政を掌る。

寺宝として本堂御拝口楼上に「阿・吽の水龍の彫刻」(年代、作者不詳)・達磨大師坐像・釈迦涅槃図(上田主治画)等がある。 現在は安国寺(福岡市中央区天神)永泉寺(嘉穂郡碓井町)と深い縁を結んでいる。

境内には「宗像四国西部霊場 本尊 薬師如来 上西郷 第6番」の表札のある薬師堂がある。

参考:『筑前国続風土記拾遺』巻之37

ひとくちメモ

太平寺は福津市の旧唐津街道の旧唐津街道の畔町宿の西約1kmの丘の上に伽藍を構えている。 この近辺は「なまずの郷」と呼ばれている。その由来については大森宮のなまず像を参照ください。周囲はのどかな田園風景が広がる。

鐘楼脇にはイチョウの古木があり印象的である。 また、本堂の阿吽の水龍の木像は繊細な彫り物で一見の価値がある。

筑前国続風土記拾遺』巻之37

宗像郡 中 上西郷村の項に下記の記載がある。上の歴史の項とも重複する部分もあるが、敢えて掲載する。

牟田に在。天徳山と号。曹洞宗也。

昔ハ周防國佐婆郡鳴瀧の泰雲寺に属せしか、近代ハ嘉麻郡臼井村永泉寺の末寺となる。 本尊ハ正観音左右に大現菩薩達磨の像在。 開山ハ泰雲寺8世竺心慶仙和尚也。 竺心は生國豊前の人也。 長禄2年(1458)11月2日に寂す。 木像在。

當寺は大内多々良朝臣義興長禄元年の創立也。 寺料田畠4町8反寄らる。今ニ其処を寺田と云。

堂内に凌雲院殿(大内義興)法泉院殿(同政弘)龍福寺殿(同義隆)牌あり。 又花翁養心居士の牌及画像あり。 此邊の領主なりしかハ、當寺の廃を再興せられし事多かりしと云。

始ハ大寺にて末寺も自國他國にかけて19箇寺有しか、大内家廃しかは、漸凌遅して今纔に6箇寺残れり。 (長州萩生福寺當村玉泉庵同西福庵同不欺軒津丸村玉泉庵のミなり。)

寛文9年(1669)寺地630坪古来の如く除地たるへき由國君の命あり。 有司の証文を蔵む。鎮守天満宮あり。

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