お寺めぐりの友

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津東山(しんとうざん) 海心寺(かいしんじ) 高野山真言宗

歴史

伊藤氏メモ宮地嶽神社近くに位置する海心寺は、大正年間1912-1926に海範和尚によって創建された。

海範和尚は、津屋崎にあった回船問屋・唐津屋の四男として誕生、俗名を重蔵といった。重蔵は幼少の頃から病弱で、青年時代には肋膜炎に罹り手術を受けた。その入院中、病院の付添婦に信仰の尊さを説かれ、信仰の道に入る決心をした。

退院した後、病気平癒の祈願のため両親とともに四国八十八ヶ所遍路の旅に出た。ところが、室戸岬(高知県)の第24番最御崎寺(ほつみさきじ)で発作が起こり、門前で野宿することになった。意識を回復した重蔵は、両親に対する不幸を思い煩い、死を求めて海に身を投げようとした。そこに一人の行者が通りかかり、自殺の非を諭された。行者の言葉に励まされた重蔵は、人生をやり直す気持ちで出家得度して海範と改名。津屋崎町東町に草堂を建立して、高野山本覚院から弘法大師像を勧請して本尊とした。

海範和尚の後を継いだ第2世の(べん)和尚は、昭和30年1955頃、霊夢によって奈良の信貴山玉蔵院(しぎさんぎょくぞういん)から毘沙門天を迎えて、飛び地境内に毘沙門堂を建立した。現在は、この毘沙門堂が活動の中心となっており、東町の本堂は奥の院と呼ばれている。

境内の奥にある金剛閣には、弘法大師を本尊として、脇侍には全国的にも珍しい金剛歌菩薩・金剛舞菩薩を祀っている。(以上 Links② などより)()

ひとくちメモ

海心寺は福津市(ふくつし)宮地嶽神社の表参道沿いに伽藍を構えている。 本堂はこの北西側1.2kmほどのところにある飛び地の奥の院にある。 毘沙門堂内の正面には五鈷杵(ごごしょ)が安置されており、すごい存在感である。

伊藤氏メモ山門入って右側に、2世勉和尚(大正3年1914生まれ)の石像と吉祥天像が並んでいる。()

奥の院

伊藤氏メモ津屋崎中学校の西裏側に伽藍を構える。[昭和56年19815月24日海範地蔵菩薩建立]の石碑がある。()


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