境内の案内板の内容を下に記す。
円通寺(想智院)
真言宗のお寺で、本尊は千手観音です。 宝暦8年(1758)に観心庵という観音堂が忍照さんによってこの地に建てられました。 その後天明6年(1786)に想智院と名を改めました。
忍照さんは、甘住屋という造り酒屋に生まれ、 俗名を永島半次兵衛寛勝と言い、 大変慈悲深い人でした。 江戸時代中頃に続いた飢饉では、 家財などを処分してまで村人を助けました。 そして神仏のご加護を求め、この寺を建てたのでした。 また、幼児の死亡や捨て子といった状況に大変心を痛め、身分を超えた子供達の保護・救済に努められており、 児童福祉の祖と言える人でした。
寺院から、北の方へ少し離れたところにある永島家の墓地に、 忍照さんとその妻貞寿さんのお墓があります。
ここから東方約1kmの地点(峰の反対側の山裾)に円通寺薬師堂がある。 このお寺との関係は如何に?
参考:『筑前國続風土記附録』
圓通寺想智院は福津市の東北の端にある名児山(標高165m)・桂岳(標高146m)が連なる峰の 西側斜面にある。 境内は林の中である。 かなり広い敷地である。
境内には本堂域を入れて平坦面が4つみられる。 県道502号線に参道口から順に、 参道口石段の参道
本堂域
第2平坦面
第3平坦面
第4平坦面(最上部)の構成である。 下の写真はこの順に掲載している。
本堂域は季節柄、落ち葉が敷き詰められており中々の風景であった。 本堂・庫裏はかなり傷んでいるのが残念である。 古井戸・訶梨帝母堂(鬼子母神堂)・大師堂などがみられる。 本堂前には住職が作成した再建計画と思われる文書が掲示してある。 一刻も早い再建をお祈りします。
第2平坦面には、おそらく88箇所を模した88体あると思われる石仏群に囲まれ、 江戸中期(安永・宝暦・寛政)銘の石塔がみられる。 かなり保存状態は良い。
第3平坦面には石塔が3体。いずれも江戸中期銘のものと思われる。
最上部には神社跡と思われる礎石のみが残っている。
参道口は、県道502号線脇にあり、道標が設置してあるのでわかりやすいが、 そこから石段までは曲がりくねった坂道なので道に迷わないようご注意の事。 現在、住職は常駐していないようである。 人気の無い境内の為、単独行は避けた方が良い。
『筑前國続風土記附録』巻之32 宗像郡 上 勝浦村并濱の項に下記の記事がみられる。
惣智院(カツラダケ麓 真言律宗 佛堂3間4面)
桂獄山円通寺と號す。 雷山千如寺に属せり。 初は観音堂のミにて山上にありしか、 寶歴年中(1751-1763)村民永島氏(剃髪して忍照と號す。)なる者、 麓に草庵を營ミ建て、 怡土郡雷山の子院の名を移し、惣智院と號し、観音佛をここに安置せり。 則忍照ハこの寺の開山也。 寺内に大師堂・不動堂あり。
ここから東方約1kmの地点に円通寺薬師堂がある。 このお寺との関係は如何に?
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