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瑞雲山()善龍寺(ぜんりゅうじ)☆☆☆浄土真宗東本願寺派/単立

歴史

筑前國続風土記』巻之3 福岡に下の記事がみられる。

善龍寺(眞宗東本願寺派)

瑞雲山と号す。唐人町にあり。 寛永4年(1627)4月如水公[1]の夫人卒し給ふとき、 この地にて火葬を執行はる。 故に此所を民家とせじとて、薬院光専寺開山の僧浄徳、 早良郡麁原(そはら)[2]の寺に住せしに、米穀を給はり、此処にうつさる。 然故に照福院[3]君の位牌は圓應寺にあれども、 此寺にも位牌を安置せり。

参考:『筑前國続風土記拾遺』

上の記事中の「麁原村の寺」は現在の早良区祖原に麁原薬師如来堂として今も残っている。

ひとくちメモ

山門(樓門)は二階建の凝った造りである。山門前の道を東に少し歩けば 旧唐津街道がその中を通る唐人町商店街である。

筑前國続風土記拾遺』巻之2 福岡神社佛閣 上 唐人町の項

善龍寺

真宗東本願寺直末なり。 開山浄徳は藥院町光専寺の初祖なり。 慶長18年(1613)浄徳彼の地を退き荒戸山の邉に住せり。 寛永4年(1627)照福院[4]卒去し給ひしを、此処松原にて火葬の式あり。 即其地(ならびに)龕禪堂(および)(7石)(10枚)竹木を高樹公[5]より浄徳に賜はりて一寺を創立し 瑞雲山善龍寺と号す。 (早良郡麁原村に有し廃刹に此山号寺号残りしを取れりといふ。其寺ハ玄室と云禅師剏建(そうけん)といひ傅ふ。) 此時西本願寺の免許を得たり。

寛文年中(1661-1672)住持西印(ゆえ)有て改て東派に属す。 其後本堂再興せし時江龍公[6]より 白銀(10枚)を賜はる。 照福君の靈牌あり。(高樹公江龍公の尊牌をも寺僧安置奉れり。) 寺の南に老僧の隠宅有しを明暦4年(1658)収公せらる。(其後今ハ士宅4区となる。下代町と号す。) 其代地として寺後の松原を賜はる。 又元禄3年(1690)川端の地を拝領す。各證文を蔵めり。 什物に佛法僧の三字(筆者詳ならす。)有、今扁額とす。 (昔照福院君の遺物の内に牽牛(けんぎゅう)花図の掛物有て寺宝とせしか、今ハ紛失す。) 樓門あり。鐘を懸たり。

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脚注

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