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光明山悟真院() 善導寺(ぜんどうじ) 浄土宗

歴史

境内の案内板の内容を下に記す。

善導寺と文化財

山号は光明山悟真院。 縁起によると建暦年中1211-1213に法然の弟子で、浄土宗の本流である鎮西派をおこした鎮西上人(ちんぜいしょうにん)(聖光房弁阿弁長(しょうこうぼうべんなべんちょう))が建立したと伝えられています。 その後、衰退した当寺を文明9年1477筑後善導寺広誉(こうよ)上人が再興し、文明11年1479には後土御門(ごつちみかど)天皇の祈願所となりました。 天文7年1538には戦国大名であった大内義隆の祈願所となって博多の主要な寺院として隆盛をきわめ、近世になると黒田氏の保護を受けるようになりました。

18世紀はじめの『筑前国続風土記』に、この寺は「宝物が国中で一番多い」と記されているように貴重な文化財が多く所蔵され、本尊の木造善導大師立像は中国唐代の僧で浄土教の大成に力を尽くした善導大師を彫像した室町時代の佳作であり、同じく室町時代頃の作である木造鎮西上人坐像、供養塔に転用された延文3年1358銘のある蒙古碇石(いかりいし)や文化6年1809の作であることを銘した梵鐘も県指定文化財です。 また、聖光上人末代念仏授手印(しょうこうしょうにんまつだいねんぶつじゅしゅいん)をはじめとする中世文書の他、絵画では高麗仏画の代表作である絹本著色地蔵菩薩像(けんぽんちゃくしょくじぞうぼさつぞう)、南宋時代の作である絹本著色十王図10幅(ともに市指定文化財)が請来しています。

なお、寺内には、博多の豪商、文化人として知られた松永子登、博多人形で有名な正木宗七の墓があります。

2000年3月 福岡市教育委員会

参考:『筑前國続風土記』

ひとくちメモ

善導寺周辺は聖福寺をはじめ、ここでは書ききれないほどのお寺が密集している。 周辺には、近代的なビルなどもみられる。

境内には、地蔵菩薩・(蒙古)碇石を利用した供養塔・「防塁石」・水子地蔵尊などなど多数の石仏石碑がみられる。 本堂の両脇には菩提樹がみられる。両者とも樹勢盛んである。

伊藤氏メモ本堂・庫裏が平成27年7月に建て替えられ真新しくなっている。現第35世。()

『筑前國続風土記』巻之4 福岡 ○善導寺の項

(前略)古き佛像古書和漢の名筆器物甚多くして、擧て記しがたし。 交割の多き事國中第一也。 京都及他邦にも亦稀なり。

このようにかなりの寺宝があったようである。 その一部が上のホームページに紹介されている。

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