お寺めぐりの友

PC版

() 横山神社(よこやまじんじゃ) [横山三社宮] 神道

歴史

境内には案内板が大小2つある。小さい方に「ここは,中世以前の東門寺領を管理する役所があったともいわれています。」とある。 当社は当然、「寺」ではないが、神仏習合の江戸期以前は 背振千坊の一翼を担っていたと思われるので拙サイトに登録する事とする。 以下に大きい方の案内板の内容を下に記す。

(前略)

横山三社宮由緒

日本書紀(奈良時代)に,神功皇后新羅の航路を知るため背振山に登られ,小山田邑(脇山)に竹内宿称に命じて斎宮を造らせ,天神地祇を祭り自ら神主となり神教を祈祷,7月7夜の未神が皇后に神教があった。

皇后は神教に従って神々のご援助で新羅王は無血征服,天地のある限り貢すると約束をした。皇后は新羅王城の門前に持っていられた槍を印に立て,帰国されて201年都に帰られ,202年に斎宮の跡(主基斎田勅定の地[1])に神社を建立された。この偉大な神社を,背振神社という。

横山郷八ヶ村百七十町を授けられ,正六位上貞観元年859熊野の比丘尼[2],熊野三神の分霊を祀られた[3]。 貞観12年890従五位下に昇授,神功皇后筑前に建立7社の随一であった。

長い年月の間には,盛衰があって,天授元年1375背振戦争の兵火等で焼失,慶長4年1599小早川秀秋の時,神領もことごとく没収,神社は消滅状態となった。現産子中で安永8年己亥1779現神殿を新築現地に遷座,社名を横山三社宮と改名された。

(中略)

平成十六年三月吉日 氏子総代会

ひとくちメモ

門前を流れる川はこの先室見川と合流する。 門前を走る道は福岡市早良区から小笠木峠を越え那珂川市に通じる道である。 門前には広大な田園風景、その先には脊振山系の山々がみられる。なかなかの景色である。

『筑前國続風土記附録』によれば、当時は境内には薬師堂・観音堂・阿弥陀堂などがあったと記されているが、 仏教系の遺構は皆無である。

関連寺院

Top