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() 立帰天満宮(たちかえりてんまんぐう) 神道

歴史

社伝によれば、ご神体は元来、武蔵寺(ぶぞうじ)(筑紫野市)の境内に祭られていたが、元禄年間1688-1703荒津山(あらつやま)[1]の麓の源光院[2](廃寺)へ移された。 明治20年1887福岡師範学校の建設に伴い、現在地へと移転した。(門前の案内板より)

社殿の裏手に建てられている大師堂は明治21年1888谷町[3]33番地に祭祀されたが、昭和36年196110月当所に再建された。(大師堂脇の案内板より)

大師堂は福岡市新四国霊場第72番となっている。

昭和50年1975光雲(てるも)神社に於いて黒田如水 満370年祭・採灯大護摩供が天台宗 大聖院によって挙行された。(天満宮の拝殿の正面に掛けられている木札より)

天満宮と大師堂との関連は不明。大師堂も源光院と関連していたものではなかろうか? 大聖院(糸島市)も元は源光院と何らかの関連があったと思われる。大聖院は平成5年1993までは中央区舞鶴にあった。両寺共に天台宗の寺院である。

ひとくちメモ

天満宮の参道口は光雲神社参道の脇にある。 境内へは鳥居をくぐって石段を下って入る。 正面に天満宮の社殿、社殿に向かって左手前には社務所、その裏手に大師堂がある。

大師堂の扉は施錠されており格子戸越しの参拝となった。

御礼:ここに福岡市新四国霊場の大師堂があることは福岡市中央区在住のpopo様からのメールで教えて手頂いた。 感謝感謝。

天満宮が鎮座する西公園は、福岡市民の花見の名所となっている。 西公園の北側は博多湾に面しており、景色もなかなかのもの。あまり知られていない穴場である。 作者は過去に花見の時期に当天満宮の前は何度も通り過ぎていたが、今回のようにしっかり参拝したのは初めてである。

門前の案内板(参考)

菅原道真を祭る神社です。社伝によれば、ご神体は元来、武蔵寺(ぶぞうじ)(筑紫野市)の境内に祭られていましたが、元禄年間1688-1703荒津山(あらつやま)の麓の源光院へ移されました。 明治20年1887福岡師範学校の建設に伴い、現在地へと移転しました。 港近くに鎮座する当社は、その名称から旧藩時代には藩船の船乗りに信仰され、近代に入ってからも特に遠洋航海にでる漁業関係者の崇敬を集めました。戦時中には出征兵士の無事な帰還を願う人々が多く参詣したと伝わります。

天満宮の拝殿の正面に掛けられている木札の内容(参考)

木札は拝殿の両サイドの柱に同じタイプのものが掛けられているが、向かって右手のものは判読不可。 下に記すのは左手の判読可能のものである。

昭和50年1975 於光雲神社 奉修 黒田如水公 満370年祭 採灯大護摩供天下■■ 天台宗 大聖院大■■■

大師堂脇の案内板(参考)

大師堂由来

不動尊(石刻)・地蔵菩薩(石刻)・親子地蔵(石刻)・不動明王(石刻)・観世音(木刻)・弘法大師(石刻)・延命地蔵(石刻)・地蔵菩薩(石刻)

本大師堂は明治21年1888谷町33番地に祭祀。昭和36年196110月当所に再建す。

福岡市新四国72番霊場

脚注

関連寺院

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