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海上山乗蓮院() 多福寺(たふくじ) 浄土宗

情報標高:7.8m

概算標高

7.8m   

備考

歴史4 phrases

伊藤氏メモ寺伝によると、開創は元和年間1615-1623、開山は浄土宗海元寺(現:博多区中呉服町)9世の乗蓮社大誉上人。 この上人が自分の隠居寺として須崎のこの地に創った寺で、海元寺の末寺であった。 住職の話では、大誉上人は黒田家のお抱え大工の岩崎家の出で、先祖は、黒田長政公が筑前移封のときに中津から伴われて来た。今も多福寺の檀家で、岩崎建設はその子孫の会社という。

多福寺の開創当時の本尊は戦災で焼失し、現在の本尊の阿弥陀如来坐像は昭和45年1970現本堂再建のときに、別府の亀川から本寺に本尊として移ってこられた仏様で、室町時代初期の作と伝えられる。元々は大分国東半島の阿弥陀堂のご本尊といわれ、亀川の信行寺[1]が預かっておられたものである。

多福寺の山門を入ると、すぐ前は幼児の運動場で、隅には遊具が置かれている。この寺は「ナーランダ保育園」という、昭和4年1929創設の、博多で最も古くからある保育園が併設されている。ナーランダ保育園の創設者は18世新森貫瑞住職である。(『筑前の寺めぐり 』より)()

多福寺の西隣には恵比寿神社が鎮座している。 多福寺との関係は不明。

ひとくちメモ3 phrases

須崎町問屋街のはずれに伽藍を構えている。 保育園(ナーランダ保育園)と併設されている。 門前の通りを200mほど東に進めば、そこに博多祇園山笠の決勝点である石村萬盛堂本店がある。

西隣の恵比寿神社入口には昔のポンプがぽつんとある。 恵比寿神社境内には戦災地蔵菩薩が安置されている。 その案内板(昭和40年6月19日付)によれば、下須崎町出身の戦死者19柱、 昭和20年6月19日の福岡大空襲で戦災死された方は59人に及ぶと書かれている。合掌。

多福寺と背中合わせで行願寺がある。

関連寺院1