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見佛山専修院() 正定寺(しょうじょうじ) 浄土宗

歴史6 phrases

筑前國続風土記』巻之4 博多の項によれば、開山を感誉上人という。明応年間1492-1501に開基される。 正定寺の名前の由来は次のとおりであるという。

威誉上人は、筑後國善導寺17代の住持であった。 そのときから周防大内義興の母正定院が威誉上人に帰依し、 寺領等を寄付した。これにより正定寺という寺号となった。

この寺に惠心僧都が書いた曼荼羅(まんだら)があり、精密で「其圖繪の精密なる事世に亦類なく見え侍る」と絶賛されていた。 残念ながら、元禄13年1700の火災で正定寺とともに焼けてしまったという。その後正定寺は再建された。

伊藤氏メモ福岡寺院探訪』に次のような記載がある。()

寺の由来記によると、「正定寺開山上人、浄土宗第二祖聖光上人(八幡香月の生まれ)。 建暦2年1212福岡市蓆田青木(現:福岡空港東側)にて開基。 その後、明応9年1500大内義興の母正定院、筑後善導寺第16世感誉上人に帰依し博多奈良屋南側に正定寺を再建移転し、 上人を中興開山とす。」とあり、その後、現在地に移転、福岡城の出城となる。

現在の本堂は古く、元禄年間1688-1704の建物といわれ、名島城より移設されたもので、 小早川隆景居城当時の切腹の間が残されている。昭和20年、戦火を逃れるため、御本尊を馬出村称名寺大仏殿の地下室に移した。 福岡大空襲では焼夷弾による被害があり、なんとか消火には成功したものの、前住職の弟子が直撃弾にて死亡したという。

ひとくちメモ3 phrases

正定寺は、博多寺町の北のはずれの御笠川沿いに伽藍を構えている。

本堂に向って左手の塀沿いに自然石に赤字で「八丁へ」と刻まれた墓石がある。 仙厓和尚の直筆という。 下の参考ページによれば、博多の古渓町の魚問屋の筆頭である「西濱屋」の主人であった西頭徳蔵の墓碑という。 この人の通称が八丁兵衛と言われたという。 聖福寺の和尚であった仙厓とも親交があったようで、 仙厓は彼のことを「八丁()」と呼んでいたという。 詳しくは下のページでごらんください。
参考ページ:八丁兵衛物語 |西濱屋の博多あごだしは国内産の厳選素材で仕上げた料亭の本格だし味です

伊藤氏メモ本堂の床下には、昭和20年6月福岡大空襲時の焼夷弾の破片が残され展示されている。建屋に囲まれた中庭の所にあり、本堂の外側部からは見えないが、お寺に申し出ればその焼夷弾破片の見える建屋内の場所に案内していただける。()

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