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高照山福照寺() 松源院跡(しょうげんいんあと) 天台宗

歴史

伊藤氏メモ筑前国福岡区地誌 (1980年)』荒戸村の項に次のような記載がある。

御山の下、北側にあり。天台宗比叡山延暦寺末なり。開山を豪光法印と云う。 慶安3年1650黒田忠之、山門より招下して東照宮の宮司とし、源光院と同じく国中一宗の法令を司しめらる。

同5年1652早良郡飯倉村にて300石の地、又神饌木をも寄納せらる。下司の社僧2人にも棒録を給せらる。

享保19年1734黒田継高より荒戸山の内、山林16961坪を寄附せしが、明治元年1868東照宮と同時に廃す。 ()           

ひとくちメモ

『筑前國續風土記附録』巻之2福岡 上 東照宮の図によれば、松源院は現在の光雲神社(てるもじんじゃ)(江戸期の東照宮)の本殿に登る石段に向って右手にあったようである。 現在はその地には寺跡の遺構は無く、多数の桜の木が植えられている。 春には花見の名所である。

ひとくちメモ

『筑前國續風土記附録』巻之2福岡 上 東照宮の図によれば、松源院は現在の光雲神社(てるもじんじゃ)(江戸期の東照宮)の本殿に登る石段に向って右手にあったようである。 現在はその地には寺跡の遺構は無く、多数の桜の木が植えられている。 春には花見の名所である。


源光院と松源院との位置関係

『筑前名所図会』によれば、この松源院は上の『附録』とは真逆の光雲神社に登る石段に向って左側にあったように描かれている(下表参照)。 本サイトでは、『附録』は黒田藩の公式文書なので『附録』に記されている位置関係を採用する。

東照宮(現光雲神社)
位置向って左(西)向って右(東)
『筑前國續風土記付録』1793頃源光院松源院
『筑前名所図会』1821頃松源院源光院

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