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() 麁原薬師如来(そはらやくしにょらい) [善龍寺跡・祖原薬師如来] 不詳

歴史13 phrases

境内の案内板の内容を下に記す。長文であるが、わかりやすく書かれている。しばしご辛抱を。

祖原薬師如来 由来

大永元年1521、筑前の早良郡麁原村中尾字上ノ畑(現在地)に瑞雲山 龍善寺という寺があった。 開山の僧を玄宝禅師といわれる。 この寺は世の移るにしたがい次第に頽廢して、 寺跡に一禅院だけが残った。 此処には弥陀、薬師のニ尊像の佛像があったという。

慶長18年1613浄徳という僧が、二尊のうち、本尊阿弥陀尊像(古伝に行基菩薩作という)を福岡、東唐人町に還し、 更めて一寺を開山、瑞雲山龍善寺を再興したという。

二尊のうち、薬師如来木像は、現在の地に鎮座される薬師堂の御本尊である。

その後200有余年。一時期、同村の松林山 顕乗寺の守るところであったが、 次第に退廃し、長年の風雨のため。廃絶しようとした。

そんな折柄、文久2年1861、 黄檗宗千眼寺第8世桂山師が、 町民と協力して佛像を修復し、堂宇を建てて再興した。

その後、明治末年まで50余星霜の間に、風雨の被害を受け、 破損も甚だしくなった。 そこでお堂再建のため、町民、信者等が相謀り、頼母子講を設けて、 明治45年、堂宇の建設に着手し、大正元年191210月に竣工した。 更に同13年、境内、囲壁を改修して整備をおわった。

この堂宇建設から今日まで80年の歳月を経た。 その間、町民と信者は、 建物の老朽化と度重なる風雨その他の被害の都度、 境内の復旧を併せて修復を重ね、堂宇並びに境内の護持、保存に努めて今日に至った。

古来、住民はこのお堂を「お薬師様」と呼び、 この地域の守護神、信仰の中心としてあがめて来た。 周辺の住民は無病息災を希って遠く早良、糸島、筑紫、粕屋地方からも参拝者が多い。

毎年、7月8日の大祭は盛大な行事が行われ、 数多くの夜店が出る程の賑わいであった。 また7月15日の夏越し祭りでは、 悪疫退散を願って昭和33年1968夏迄、 町中の壮年、青少年が、揃いのハッピを着て、赤青一対のお獅子を舁いて、 赤い「そ」の字の入った弓張り提灯を先頭に、勢い水をかぶりながら各家庭を軒並み廻る、 全町あげての勇壮なお祭りであった。
○薬師様祭日 毎月 8日 21日
○大祭 毎年 7月8日
○夏越祭り 7月15日

(後記)
一、この薬師如来木像、聖徳太子一刀三礼の霊像と伝えられる。(「早良志」)
ニ、浄徳法師とは、藤原の子にして、熊本菊池八代能隆の第4子城越前守隆経の15代の孫、 城久基の後身である。久基は戦乱の世の無情を感じ、18才にして武士を捨て熊本西光寺の佛門に入り、 浄徳と号した。 福岡で浄徳が建立した寺院には、福岡薬院平尾の鶴城山光専寺、 東唐人町の瑞雲山龍善寺がある。(「寺院沿革誌」)

1991年 祖原薬師堂研鑽之会

筑前國続風土記拾遺』巻之43 早良郡 上 麁原村付皿山の項に 「○薬師堂上の畑に在。むかしの寺址なりといふ。」と記載されている。

ひとくちメモ3 phrases

薬師如来はガラス越しに拝んだ。両脇には日光・月光菩薩像立っておられる。 堂内・境内はきちっと清掃され、砂もきれいに掃き清められている。 地元の方々の篤い信仰心が感じられる。 境内には修行大師像、十三仏像などがある。 本堂に向って左手には絵馬かけ所があり多数の真新しい絵馬がかけられていた。

周辺の道はかなり入り組んでいる。アパート・マンションなどの住宅地となっている。

伊藤氏メモ現在の本堂は平成5年のものとのことですが、本堂・敷地内ともきれいにされ、ひじょうにきちんとした印象です。()

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