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旭曜山()西音寺(さいおんじ)★☆☆浄土真宗本願寺派

歴史

伊藤氏メモ当寺の創立は永仁3年(1295)で、西方寺と称する禅宗の寺であった。

後代天正14年(1586)頃、高祖城主・原田種直氏は豊臣秀吉に攻められ、城は落城し家中討死し残った者も浪人となった。その中、家老・笠大炊守は糸島郡西堂村[1]の古領地の縁をもって同村に移住した。その頃西方寺は住職がおらず破落していたが、笠大炊守が入寺して再建し、禅宗から転派して浄土真宗に帰依した。

寛永6年(1629)、西方寺は西堂村を退き、早良郡西入部村伊田尻に転寺し、西方寺を改め旭曜山西音寺とした。西方寺跡は、現在も糸島西堂の地にある。(HP「浄土真宗本願寺派 福岡教区早良組-西音寺」より) ()

参考:『筑前國続風土記拾遺』『福岡寺院探訪』

ひとくちメモ

西音寺は早良区の田園地帯に伽藍を構えている。周辺は緑でいっぱいである。 春になれば参道には多数の桜の花がみられる。

伊藤氏メモ門前の藤棚に綺麗な藤が咲き誇るものと見ました。()

『筑前國続風土記拾遺』 巻之44 早良郡 中 西入部村の項

西音寺

本村に在。真宗西福岡光専寺の末也。 開基の僧を圓西(俗称笠石見)といふ。

『福岡寺院探訪』

伊藤氏メモ『福岡寺院探訪』に次のような記載がある。()

当寺は、もと糸島の方にあったといわれ、縁起は、永仁3年(1295)専心の創建にて、以前は西方寺と称し、禅宗であったが、天正年間(1573-1592)高祖城主原田氏の家臣笠大炊がこの寺の住職となり真宗に改めたと伝えられる。その後、寛永年間(1624-1644)現在の地に移り、寺号・山号とも今の名に改めた。

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脚注

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