『筑前國続風土記拾遺』巻之44 早良郡 中 東入部村の項に下の記事がみえる。
西教寺
平尾に在。真宗東本願寺直末也。 初代の僧を玄琢俗称飯田万三郎といふ
上には"東本願寺"とあるが現在は西本願寺派である。これは誤植なのか、改宗したのか作者は知らない。
伊藤氏メモ『福岡寺院探訪』に次のような記載がある。 [小早川隆景の家臣であった飯田萬三郎の開基といい、 このことから考えると、開基の年代は16世紀の後半頃と思われる。 現本堂の建立年代は不詳だが、この近くにあった農学校(明治4年鳥飼より入部村に移ってきた勧農社のことではなかろうか)の古材を利用し建立したものという。]()
西教寺は荒平山の麓に位置し、周辺はのどかな田園地帯が広がる。 近くにはその先で室見川に合流する水路があり、きれいな水が流れている。 西教寺の近辺は、空気も良く絶好の散策エリアである。
本堂の扁額をかついでいるのは猿であるとずっと思っていたが、後ろから見るとふんどしをしめている。 猿はふんどしをしめるはずもなくこれは人間ではないだろうか?
伊藤氏メモ現住職は当寺に入って26年目を迎えるが、扁額を支えている人物(猿)のいわれについてはご存知ないとのことでした。 ただし、建物構造上、必要な部分であるとのことでした。 なお、当寺は、途中で宗旨替えを行っている模様との由。(本HPの[歴史]欄記載との関係あり?)()