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孤峯山() 西光寺(さいこうじ) 浄土真宗本願寺派

歴史

筑前國続風土記拾遺』巻之下44 早良郡 中 内野村の項に下記の記載がみられる。

本村に在・真宗西穂波郡飯塚村明正寺の末なり。 開基の僧を天海深江氏といふ。

伊藤氏メモ開基を高祖城原田氏の家臣にて天海という。(『福岡寺院探訪』より)()

本堂に向かって左手の石段を登った所に国宝の梵鐘がある。

ひとくちメモ

梵鐘をガラス越しに見たが、国宝と言う先入観もあったとは思うが、風格があった。 読者も是非お一度お参りされたし。 収納庫は本堂左手の納骨堂の脇の石段を登った所にあり、見逃されないよう注意されたし。 西光寺の周辺は住宅街となっており、少し歩くと田園地帯が広がる。

伊藤氏メモ国宝の梵鐘は、残念ながら見ることができませんでした。九州国立博物館に貸出し中で、戻ってくるのは、 来年、平成27年2015の4月以降とのことでした。ただし、現在は、博物館で調査等を行っており、先々、 [海の道、アジアの路]という企画展の際に一般公開に付されるとのことでした。 代わりにということで、その梵鐘の3D作成ミニチュアと、銘文部分の同3D作成分を見せてくださいました。()

国宝の梵鐘(ぼんしょう)

福岡県文化百選 9 (歴史散歩編)』によれば、 我が国の紀元梵鐘では5番目に古い鐘[1]である。 平安時代前期の古鐘で総高136.4cm、口径77.5cm。鐘を釣り下げる 竜頭(りゅうず)蓮華(れんげ)反花(かえりばな) 型で、上に宝珠を(いただ)く。 撞座(つきざ)の中心高は奈良朝の梵鐘に比べて低い。 銘文によると、承和6年839伯耆(ほうき)国(鳥取県)の多福寺に寄付されたが、 同寺の衰退で近江の金物商に売られ、さらに 大阪の古物商の手に渡って店頭に置かれていたのを明治30年1897梵鐘を求めていた 西光寺が買い取り、ようやく安住の地を得た。

太平洋戦争のさなかには地金として供出されそうになるが、重要美術品として九州大学が 調査を進めていたこともあって危うく難を逃れた。

現在は、保存性の理由から平成7年に鐘楼ごと収納庫で覆われたが、窓から見学する事ができる。 以前は、朝夕6時に鐘をついて時刻を知らせていたが、近年鐘に小さなひびが発見されたため、 鐘の音をテープに取って流している。


脚注

関連寺院

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