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宝樹山浄土院() 西方寺(さいほうじ) 浄土宗

歴史

伊藤氏メモ寺伝によると、西方寺の開山は浄土宗第ニ祖聖光鎮西上人の弟子・良阿明源上人。 この上人は北条氏の出で、53歳のときに天台宗から聖光上人の浄土宗に転じた。 良阿明源上人は鎌倉初期の安貞元年1227、76歳のときに博多冷泉津あたりに一宇を創建し、西方寺とした。 そこには池があり、人々は西方寺柳ヶ池(楊ヶ池)[1]といい、池畔には薬師如来の石仏を祀ってあり、寺に良い霊地であった。 それは、明源上人のごく晩年のことで、上人はその4年後の寛喜3年1231に80歳で入寂した。

現在の明治通り呉服町交差点から天神方向へ、最初の左折ヶ所のビル(店屋町7-18、渡辺藤吉本店の入っている博多渡辺ビル)の前に「楊ヶ池神社跡」の石碑と説明板がある。西方寺もこのあたりにあったのであろう。

西方寺は室町時代の寛正2年1461に大火で焼失、永正年間1504-1521に現在地に移転した。西方寺の山門の横には江戸時代の町名「西方寺前町」と彫った石碑が立っている。(『筑前の寺めぐり』 より)()

福岡大空襲で本堂・庫裡・薬師堂・数々の寺宝など焼失したが、戦後鉄筋造で再建された。

参考:『筑前國續風土記付録』『福岡寺院探訪』より

ひとくちメモ

西方寺の東側の裏手には観音寺がある。 観音寺はその昔西方寺の塔頭寺院であったという。

大やかんと大木魚

伊藤氏メモ嘉禄3年1227、浄土宗知恩院の末寺として創建。 深さ23cm、底の直径33cmの大やかんが寺の名物であった。 室町期、博多に疫病が流行した際、住職が薬師如来の夢のお告げに従い、 薬草を大やかんで煎じて病人に飲ませたところ、疫病が鎮まったと寺に伝わる。 この故事にちなみ、江戸期に眼病を患った人が、寺の薬師如来に病気平癒を祈願。 治ったことを喜び、大やかんを寄贈した。 以来、夏祭りで参拝客に薬湯を振る舞ったという。 大正1912-1926期に筑後地方の矢部川が氾濫、倒れた大クスで作った一木作りの大木魚もあった。 高さ1mほどであったという。 その後、大やかんは戦時中の金属類回収令で供出。大木魚も福岡大空襲で寺が全焼した際に焼失したらしい。(『博多 旧町名歴史散歩 』より) ()

脚注

関連寺院

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