お寺めぐりの友

PC版

冷泉山慈眼院() 龍宮寺(りゅうぐうじ) 浄土宗

歴史

伊藤氏メモ『筑前國福岡区地誌』上小山町の項に次のような記載がある。

町の南にあり。浄土宗鎮西派本山京都知恩院末なり。開山を谷阿上人と云う。 此の寺、古は袖湊の海辺、今の楊池神社の地にあり。其の頃は、此辺まで潮来たりし故、浮御堂と云えり。

後、貞応元年12224月14日(一説に27日)、此の津にて人魚を捕得たり。此の由、朝廷に奏問しければ、 勅使として冷泉中納言、当地に下向有りて暫く此の寺に留止せらる。其の時、安部大冨と云える博士、人魚出現の事を占うに、国家長久の瑞兆なりと申しける。 人魚は頓て此の寺の中に埋みぬ。是より今の山号寺号に改むと云う。

当寺20世本譽、播磨姫路の人、長野氏の二子なり。心光寺にて剃髪し、豊前中津瀧泉寺に住し、慶長5年1600、 当国に来り此の寺に住し、本堂庫裏諸堂を建立す。中興開基と称す。

宗祇法師が筑紫紀行に博多と云うにつきぬ。やどりは龍宮寺と云える浄土門の寺なり。 享保17年17326月16日の夜、当寺炎上して、冷泉中納言筆の額及び宗祇が連歌百韻の一本も烏有となれり。惜しむべし。

寺境に荒神堂観音堂大師堂あり。荒神、毎月28日商家の輩、群参す。 観音堂、博多七観音の一にて、国中33か所巡礼第2番の札所なり。又、宗祇が吟行の松とて1株あり。元文1736-1740中、雷火に摧けしを、又、植継きたるなり。()

伊藤氏メモ谷阿上人により開山され、創建当時は真言律宗であったが、第6世空吟上人のときに現在の浄土宗に改宗された。(「博多ライトアップウォーク2016/パンフレット」より)()

筑前國続風土記』によれば、開基の年は定かではない。 開山の谷阿(たにあ)上人が亡くなったのが仁治2年1241というからそれ以前であることがわかる。

寺内には人魚の骨も安置されている。なんと147mとの言い伝えがある。(下の写真を参照の亊)

ひとくちメモ

山門を入ると荒神様(三寶大荒神)があり、その横に寺の本堂がある。 本堂前には観音堂がある。

境内にある人魚塚は、何のご利益かは聴きそびれたがお参りの人が 削って持ち帰る為磨り減り、昭和33年に新しいものと置き換えられたと言う。 (下の写真を参照の亊)

伊藤氏メモ文明12年1480には宗祇が滞在。連歌百韻が行われた。()

『筑前名所図会』

筑前名所図会』巻二 東長寺の図で下部に描かれている。東長寺との位置関係はほぼ現在のままである。

筑前名所図会』巻二 柳カ池で人魚の絵が描かれている。不気味である。


観音堂

本堂のほぼ正面に鎮座している。観音堂横の案内板によれば、本尊は聖観世音菩薩(別名:袖湊観音)で、貞応年1223慈覚大師作と伝えられる。

太閤秀吉の博多町割り1587より博多七観音( 大乗寺観音・ 妙楽寺観音・ 龍宮寺観音・ 聖福寺観音・ 東長寺観音・ 乳峯寺観音)の一つとして昔から多くの人の巡礼の場となっている との亊である。


Top