お寺めぐりの友

PC版

() 野芥縁切地蔵尊(のけえんきりじぞうそん) 不詳

歴史

石段脇の案内板の内容を下に記す。

野芥縁切地蔵尊由来

和銅708-724の頃、重留の里(現在早良区重留)に住んで土生の長者と呼ばれた富永修理太夫照兼の子兼縄が粕屋の長者原(現在粕屋町)の大城長者曽根出羽守国貞の娘(お古能姫)と縁組が成立し輿入れの日、兼縄が有る事情の為出奔したので、照兼は、これを頓死と偽って使者を大城長者に急報の途中、お古能姫はこの知らせを野芥で聞き「早や嫁ぐべき家も無し」とこの土地で自刃して果てた。土地の人々が哀れんで菩提をとむらうために一体の石蔵ママを建てたのが野芥の縁切地蔵尊といわれている。

其の後男女の縁切にあらたかとして、昔より全国各地から信者が祈願にきましたが最近は一切の悪縁諸病と縁切りという事で霊験あらたかであると有名になり、北は北海道から南は沖縄まで参詣者が多い。

昭和60年10月26日に出火全焼したので地元有志及び全国の信者の方々のご納金によりこのたび再建完成し今後、永く史跡として大切に保存するはこびとなりました。

昭和61年9月24日 野芥縁切地蔵尊史跡保存会

参考:『筑前國続風土記附録』

ひとくちメモ

お地蔵様は八角形の祭壇の上に祭られている。 単なる石のような形。長い風雪の為お姿がわからなくなっているのか、もともとこの形だったのかは不詳。 境内には手水社とその前に古い石塔・石仏群がみられる。

御堂内の壁には落書きが散見される。近在の少年たちのいたずらであろう。 残念である。

午前、初参拝。『筑前國続風土記附録』の記事に「縁きり地蔵はミヤノウエ」にあると記されており、これを頼りに野芥に向かった。 「ミヤノウエ」の「ミヤ」とは野芥櫛田神社の事。その上にこの地蔵尊があると思い、野芥櫛田神社に参拝。 確かに、社殿に向かって右手に石段があり、遠目に道が上まで延びている。 しかし石段両脇は草木が茂り、長いものが出現する絶好のシチュエーション(泣)。 また冬に参ろうかと引き揚げる途中、境内で談笑中の氏子さんと思しき初老の男性達(確か5名)と出会った(境内の清掃などの後の様子)。 その集団に石段の上に何があるかと聞くと、上にはまだ祠があるとのこと。 作者が「そこにお地蔵様おらっしゃいますか?」と尋ねると、縁切地蔵の場所が櫛田神社境内ではなく、鳥居前の道なりに少し南側にある事を教えて頂いた(すごいラッキー)。

その男性達と別れ際に、その中のお一方が(なん)の縁切りな?」、(小指を立ててニヤっと笑い)「これやろ?」。 作者は「単なる物好きで。。」と応答。会釈して地蔵堂に向かった。もっとうまい応答があったのではないかと後悔することしきり。

上の太字は地元言葉。標準語になおせば「そこにお地蔵様はおられますか?」「何との縁切りですか?」「これ(女性)でしょう?」。ニュアンスがうまく伝わりません。やはり地元ことばならではの味わいがある。

Top